「神」と名乗る

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 僕は電車の三号車両の席に座ると、あんパンの袋を破いた。相変わらずすいている電車で、いつも見かける初老の女性と、酒臭い中年の男が乗っていた。僕があんパンに歯型をつけて、舌先に甘味を感じた頃、丁度前に座っている男の携帯電話から音楽が流れ始めた。  電車の中での携帯電話使用はご遠慮下さい、何てことを忠実守る人は、まああまりいない訳で、彼は携帯電話で会話を始めた。 「ん? あ? ああ、うん、面倒臭い。適当で良いんだよ、適当で。うん。まったくうっせえな、ケツにゴボウでもぶち込んどけ」 こうした会話を聞くのも意外と楽しい。俗に言う「人間観察」の一環として耳を傾けたのであるが、男の会話は至極変わったものだった。  やがて電話を切る男。携帯電話をポケットにしまうと、いきなりこちらを向いた。そして、明らかに僕に向かってこう言う。 「俺さあ、神なんだよね」 電話の内容よりも変わった発言である。こんな荒唐無稽な発言なんぞ、お笑い芸人でも相当思い切った奴ぐらいしかしまい。彼は更に続ける。 「いや、だからさ、俺は神なんだってば。呑気にあんパン喰ってる場合じゃないんだよね」 ああ、そういえば酒臭い。多分酔っ払いか何かだろう、と僕は目を背けたのだが、いつしか初老の女性はいなくなり、電車の三号車両だと思われた空間は遊園地のコーヒーカップに変わっていた。僕はコーヒーカップの中にいい歳の男二人が向き合っているというこの状況に正直うろたえた。しかも向かいあっている相手は「俺は神だ」とわけのわからない発言をしているのであるし、電車の中にいたはずなのに、いきなり予期もしていない空間にいるのである。 「は? え? 何コレ?」 「だから、俺は神だって言ってんだろ」 「さっきから意味がわかんないんですけど」 「うん、まあ、落ち着けよ」 「…………」 「とりあえず、改めて言う、俺は神だ」 「そんなはずはないでしょう、神なんかいません」 「だったら、世界中の全存在を集めて神がいないことを証明しないとね」 「そういうのを『悪魔の証明』って言うんですよ」 「なかなかポエティックじゃないか、君は、よし気に入った。君は『神二号』だ」 「いやいや、だから……」 僕の頭は熱した油の中に水を注ぎ込んだがごとく混乱したが、一方でいやに冷静だった。
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