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欲望の街、バーリアル。
その入り口に、佇む一つの影。
真っ黒なコートは質の良さそうな絹で出来ており、風が吹く度に優雅にはためく。
コートの先に付いたフードはすっぽりと顔を隠し、一見しては男女の判別がつかない。
しかし良く良く見ると、唯一隠されていない口元が、女であることを示していた。
女性特有の、ぽってりと柔らかそうな唇。弧を描いたそれは、うっすらと厭らしくない程度に、真紅のルージュが引かれていた。
女はゆっくりとした足取りで街の入り口である門を潜る。ぶわり、と一際強い風が吹き、とうとう彼女の顔を隠していたフードが外れた。
現れたのは、紅。
鮮血よりも濃い、くれない。夕闇の様な紅の髪の毛は、コートと同じ絹の様に艶やかで。白磁の肌に収まるのは、ルビー色の瞳。
フードが外れた事をさして気にすることなく、一度止めた足を女は再び動かした。
「お帰り、紅の魔女」
入り口近くにある甘味処の親父が女に話しかけた。女は立ち止まりにこりと微笑む。
「相変わらずのようだねぇ、玄岳」
「お前さんもな。今回は何れだけいるんだい」
「暫くはいるつもりだよ。新しいのも入った様だからね」
女はそう言うと、親父の返事も待たずに歩き出した。
街の中程にある雑居ビルの地下。扉一枚隔てた向こうでは、何やら派手な音楽が鳴っている。
女は音もなくその扉を開けると、案の定聞こえてきた爆音に微かに眉根を寄せながら中に入って行った。
しかし突然明るくなった目の前に、女の眉間の皺が更に深くなる。
「っ…」
思わず息を飲んだ女の、その微かな音を、近くに立っていた男の耳が捉えた。
「いらっしゃ……」
男はこれ以上開けない位に瞳を大きく開くと、言いかけた口そのままに固まってしまった。
しかも男の声が存外に大きく、何やらダンスの練習をしていた他の男達までもが女の方を向いた。
「……なんだい、お前達。主人の顔を忘れたのかい」
やれやれと大袈裟に溜め息をつく女に、勇敢にも突っ込む者が一人。
「いきなりやってくる貴女が悪いのです。しかも態々非常口から」
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