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現れたのは漆黒の髪をオールバックにした黒服の男。女は微かに笑みを深くすると、近づいてきた男にコートを渡した。
「いいじゃないか、別に。ショーの最中に入っちゃ迷惑だろう」
「今は開店前ですよ。それに貴女はこの店のオーナーなんですから、気を使う必要はないのでは?」
次々と渡される荷物を受けとりながら、男は女に慇懃な態度で話す。周りの男達は置いてきぼりを食らって立ち尽くしている。
「そんなこと言ったって、薫。お前以外はあたしの顔を知らないみたいじゃないか」
全ての荷物を渡し終え、女は近くのボックスシートに腰を下ろした。
「今ここに居るのは新人ばかりですからね」
「何時から入ったんだい」
「一昨日です」
「…そりゃあ仕方ないね」
薫と呼ばれた男は、まるで常日頃からそうしているのか─否、実際そうしているのだが─慣れた手付きで女に酒を注ぐ。
「あの…薫さん。この方は」
堪り兼ねたのか、ステージの端に立っていた気弱そうな少年が薫に話しかけた。
「あぁ…すみません、忘れていました」
す、と優雅に立ち上がると、薫は女のすぐ横に立ちそのすらりと伸びた腕を女の方に向ける。そして体はステージの方を向くとゆっくりと口を開いた。
「ご紹介が遅れました。当店オーナー、橘紅子様です」
ショーの練習を再開させた薫は、女─紅子をカウンターに移動させた。
「刹那達は外回りかい」
先程注がれた赤い液体を飲みながら、紅子は問う。向かいに立つ薫は小さく肯定した。
「一時間程前に出ていかれました。間もなく帰っていらっしゃるかと」
「ママー!」
薫の言葉が言い終わらない内に、入口から何やら黄色い物がやってきた。
「おや、また髪色を変えたのかい、楓」
紅子は笑みを浮かべて、やってきた物を自らの胸の中に閉じ込めた。
「今度は金髪にしてみたの!似合うでしょ!」
えへへ、と笑う顔は無邪気で。紅子の手は自然と彼の黄金に染まった頭に向かう。普通なら傷んでいるはずの金髪は、さらさらと指通りが良く、まるで上質な絹の様だ。
「あぁ、似合うよ。今までで一番似合ってる。人形みたいだね」
ふふ、と吐息混じりに笑う紅子に、楓と呼ばれた青年は嬉しそうに笑った。
「刹那がね、ママに渡したい物があるんだって。さっき向かいのお花屋さんで買ってきたの」
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