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「秋って嫌い」
彼女は誰にともなく呟いた。きっと溜め息のように漏れたのだろう。
「でもモンブランは最高よ」
彼女は誰にともなく呟いた。何故か弁解するようだった。一人うんうんと頷いている。
「ねぇ。どう思う?」
憂鬱な日々から救い出してくれた彼女は僕にとってかけがえのない人となった。あの出会いから幾度としてこの病院を訪れてきたのだ。
僕は少しずつ彼女について知ることができた。
僕と同い年だということ。犬が嫌いだということ。目が悪くなったのは三年前で、今は少しずつ良くなってきているということ。
しかし笑ってしまうのだが、驚くべきことに肝心な名前は未だに聞けていない。タイミングを失ってしまい、今更聞くのも気恥ずかしい。
名前も知らないが、確かに彼女との距離が縮んでいる。それだけで僕は満足していたんだ。
彼女とは何度も会っているが、決まってこの屋上のベンチで話をする。
何度も通い詰める僕に彼女は心を開いてくれたようで、彼女の手が僕の右肘を掴むこともあった。これは盲目の人にとって信頼を意味する。
そのことを知っていた僕は危うくその場で小躍りするところだった。
そして同い年とわかったためか敬語は無くなり、彼女の本性が少しずつ見られるようになってきた。
ちょうどこんな具合に。
「ねぇ! どう思うのかって聞いてるじゃない!」
彼女は高らかに雄叫びをあげるとベンチから立ち上がり僕を見下ろす形をとった。彼女は情熱的なのだ。
「モンブランについて?」
「ち・が・う! 秋について!」
「あぁ僕も秋は好きじゃない。なんだか物悲しいからね。とにかく座りなよ」
彼女は口を尖らせながら、ドスンと腰を降ろした。彼女は子供っぽいのだ。
「早く今一度モンブランの姿をこの目に焼き付けたいの!」
内容は置いといて、その前向きな発言を僕は高く評価する。彼女には前しか見えていないのだ。
「なんだ。やっぱりモンブランの話じゃないか」
「ち・が……くないか。秋にはモンブラン以外語るべきところはきっと無いよね」
笑ってそう言った。ころころと表情を変える。彼女は感情の起伏が、それはもう凄いのだ。
流石に慣れたので笑って「そうだね」とだけ言っておく。
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