夏の一陣

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 風が過ぎ去った後、僕はそのシーツを一枚一枚、暖簾のように越えていった。  最後の一枚を越えるとさっきいたあちら側と同じ屋上とは思えない空間があった。  彼女の姿があるだけで絵になる。そんなふうに思ったのを鮮明に覚えている。    彼女の傍らには白い椅子が置いてある。見たことあると思えば、オジサンの病室にあったのと同じだ。  その椅子には座らずに柵に手をついている。風を感じている、という感じだ。    街を見下ろしながら彼女は「高いな……」と独り言をもらした。確かに6階に相当するここはかなり高い。  しかし、そんなことより目の前に立つ一人の女性の後ろ姿があまりに綺麗だったのだ。溢れんばかりの魅力が僕には確かに伝わってきていた。  その姿に見とれていた僕は我に返り口を開いた。   「何をしているんだい?」    出来る限り彼女に警戒されないように声を掛けたつもりなのだが、彼女の背中はビクッと上下した。あからさまに驚いてしまっている。  入院患者が着るあの飾り気無い服に身を包んだ彼女は振り向いた。    肩まであるセミロング。やや茶色がかったその髪はふわりと揺れた。  鼻筋の通った端正な顔立ちは文句無しに綺麗だった。  困惑した表情を浮かべ、清く澄みきった声で言った。   「誰?」    そこで新たな事実が判明した。    彼女は目が見えない。    瞼は柔らかく閉じられているが開くことはない。僕がどんなにおかしなポーズをとっても反応はまるで無かった。 「あ、ごめん突然。何してるのかな、と思ってさ」  僕がそのままを言うと彼女の警戒が解かれた気がした。 「うーん。それを簡単に言うことはできないなあ」    彼女は、はぐらかした。  僕は彼女の隣に並び、柵にもたれ掛かった。  目が見えないと他の機能が発達するというのは本当だ。僕は少しばかり普通の人よりそこら辺に詳しい。  足音か空気かはわからないが僕が隣に来たことを悟ったのだろう。彼女は口を開いた。 「私ね、目が見えないんです」  彼女の口振りは実に爽やかだった。誰かを憎んでいるわけでも無く事実として受け止めているようだ。  彼女が浮かべた不器用な笑みを僕はなんとも言えない気持ちで見ていた。   「そっかそれは大変だね」 「そう大変。でもしょうがないことですよ」  彼女は再び笑った。しょうがないこと。そう割りきり、日々を送ることを僕は凄く格好良いことだと思う。
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