【第一章】普通に終わらなかった木曜日

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 言うまでもなく飛べないだろうと確信している表情で、ノートから顔を上げる。  ちょこっとだけ、カチンと来た。普段たれ眼がちな目尻が、少しだけ上がった。  大きく深呼吸。長い時間を得て、息を吐き出した。 「曽根川、早く飛べ」  教師が急かす。しかし、それには耳を傾けず、黒みを強く帯びた双眼で、ひたすらに跳び箱を直視する。  やがて、何かを感じたのか、周りで座っている生徒たちも閑談をやめてひかると跳び箱を見つめる。  わずかな静寂。息を飲んだ音がどこからか聞こえた。それを合図にしたかのようなタイミングで、ふっと息を吐いて気合いを入れると、床を滑るように走り出す。  一歩踏み込むごとに近づく跳び箱。すぐに跳躍台が迫る。  ついた右足で、とんっ、と軽く地を蹴る。走った勢いのまま鋭角に、体が飛ぶ。跳躍台に勢いよく両足をつく。しかし勢いを殺しきれなかったのか、体が前に傾く。  ぶつかる! 周りの生徒たちがざわめく。が、それは一瞬にして驚愕に変わった。  思い切り膝を曲げ、全身をバネのように縮め、伸ばす。跳躍台が、あまりの勢いにガタンッと揺れた。さらに追加された勢いで、体が空中で回転する。下に向けて腕を伸ばし、跳び箱に手を触れるのもわずか、すぐに手を離して体を回転、マットに着地した。  余韻に浸るように、やや前傾になって息を整える。小さい胸一杯に、深く息を吸い込む。そして吸った息を、一気に吐き出す。わずかに、黒みかかった短髪が揺れた。  そして、切るように余った息を短く吐いて、ぴっと背筋を伸ばして両手を上げる。  非の打ちようのない見事な前方倒立回転跳びに、体育館が歓声につつまれた。
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