風鈴夏

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フェンスに乗った格好のまま夢衣を向こう側に降ろす。 夢衣を降ろし終わると、僕は一気にフェンスを乗り越え向こう側に着地した。 そして無言のまま立ちすくむ夢衣を見る。 夢衣は迷子の子猫のように無表情でたたずみ、じっとこちらを見つめていた。 その表情に内心たじろぐ。 何かが違った。 ざわめく心。 突き刺さる視線。 内心の動揺を読まれまいと平静を装った僕は、完全に夢衣から目線を離せなくなっていた。 心の中を覗くような目。 波打つ心音。 眠っていた本心が目覚め始める。 そうか僕は夢衣が好きなんだ。 目覚めた心が胸を締め付ける。 もし僕が夢衣ほど素直なら。 知らせたい。 でも知られるのは怖い。 そんな葛藤も、全て見透かすような目。 完全にいたたまれなくなった僕は、自然な風を装い目線をそらせていた。 僕は被っていた帽子を夢衣の頭に無造作にのせる。 野球帽のてっぺんの天丸が、やけに鮮やかなオレンジ色をしていた。 見上げる夢衣の目線を避けるように背を向ける僕。 「この先にあるから行こうか」 どこかトーンダウンした声。 夢衣の存在を背中越しに感じながら歩き出していた。 無言の壁が重くのしかかる。 それでも僕は気の聞いたセリフも浮かばず、進み続けるしかなかった。 その間も、僕の頭は堂々巡りを繰り返す。 夢衣は待っている。 僕が告白するのを。 いや多分、僕の好きと夢衣の好きは本質が違う。 でも今好きと言わなければ、取り返しのつかない事になる予感がした。 全て勘違いなら、その一言で今までの関係さえも消えてしまうかも知れない。 それでも言うんだ。 だがその勇気は僕にはなかった。 沈黙して歩む間、そんな僕の意気地なさを責められている気がした。 それでも僕は、今の関係を壊せない臆病者だった。
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