第五章

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名無しが食事に戻って離れには俺一人となった。先程の穏やかな時間が嘘みたいに寂れたものに変わる。 名無しは不思議な少年だ。 ただの使用人にも関わらず、ここに長居することを咎められていないっぽい。サナは相変わらず見つかれば仕置きをされているみたいだけど。サナが名無しに強く当たるのはそのせいもあるんだろう。名無しが良くて俺が駄目な意味がわかんねぇと性懲りもなく離れに忍び込んではぼやいている姿を見た。 「名無し、ねぇ…」 名無し。 名前がないから名無し。 故郷も両親も覚えていない名無し。 当事者が分からないことを俺が分かるわけもなく、考えても仕方がないと分かっていても気になってしまう。 名無しはいい子だ。 どんな環境で育ったのか、純粋無垢な汚れなき少年だ。一緒にいるだけで癒される。配膳係りが名無しに変わってから、少し俺は冷静になった。 俺が離れに入れられた理由。 あおにぃの態度が一変した理由。 桃が屋敷に顔を出さなくなった理由。 考えられるのはひとつ。 可能性でしかないが、当主がいい歳ということから、次期当主の候補に入れられたと考える。俺は、次期当主はあおにぃがなるもんだと思っていた。違うのだろうか。違うのだろう。だっていまの俺の状況は、まるで次期当主の育成ーー。 「ひーちゃん?」 「どわっ!?」 突然目の前に現れた人物に驚きの声をあげる。吃驚しすぎて後ろに飛んでしまった。そんな俺のオーバーなリアクションにサナはきょとんとした後、ケタケタ笑いだした。 「びびりすぎでしょ!」 あははは、と目尻に涙まで浮かべる始末。そんな反応されてしまってはこちらが余計に恥ずかしくなる。うるさい、と頭をたたくと笑いを押し殺すように、ようやくサナが顔をあげた。 「なに?考え事?」 「…まぁね」 考えても仕方ないことだけれど。 自分が当主になんて一度も考えたことなかった。たぶん、実感がわくことはこれからもない。 「今回の仕置きは?」 「一日飯抜きの軟禁」 「うわぁ」 「腹減った…」 タイミングよくキュルル、と鳴ったサナのお腹。俺は耐えきれず笑った。
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