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加奈子は咄嗟に身を乗り出し、母を庇った。重い衝撃が襲ったのはその後すぐだった。不思議と痛いとか腹が立つといった感情は無く、ただ殴られたことに驚いて動けなかった。人に本気で殴られたのは、産まれて初めてのことだったのだ。床にへたりこんだまま父を見ると、怒りに震えている彼の目は娘に向けられているとは思えない、狂気を含んだ眼差しだった。
誰のおかげで飯を食えとると思っとんや、お前ら出ていけ。父は喧嘩の度に発する決まり文句で怒鳴り付け、母は泣きながら「離婚」の二文字を叫び、呆然とする加奈子に今すぐ荷造りをしなさいと言った。父がテーブルの上に置いていた茶碗を加奈子達の方に投げた。危ない、間一髪で避けると水道のパイプにでも当たったのだろう。水道から透明な水が、噴水のように吹き出した。頭がかち割られたら、あんな風に血は噴き出すのだろうか。
母方の実家で温かく出迎えてくれたのは、結局祖母だけだった。リビングで話し合いが行われ、祖父と叔父は離婚だなんてみっともないこと辞めておけと、母を説得した。加奈子は子供の自分が口を出したところで、相手になんかされないだろうと、ただ流されているだけのニュース番組を眺めていた。離婚なんて今の世の中ありふれた出来事だが、田舎ではまだ古い考えが根強く残っている。特に狭い世界のこの田舎では、離婚は今でも恥なのだ。
話し合いはそのまま纏まらず、来客者用の畳み部屋で布団を二つ並べて就寝することにした。布団に横たわる母はとても小さく見え、彫りの深い端整な顔は、昨日よりいっそう老け込んだ気がした。
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