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『おおらかに生きなさい』
これは私の亡き祖母の口癖だった。
私は東京の下町に生まれ育った。
花と盆栽が好きな祖父と普段は穏やかだが、いざという時は気丈な祖母、公務員のくせに放浪癖のある父、専業主婦でヒステリーが玉に傷な母、銀行員の長女、良く私とも喧嘩をして男勝りだった次女、そして人見知りが激しく内向的な性格の私…。
私はこんな7人家族の中で育った。
私は小さな頃、母から良く精神的虐待を受けていた。
今思えば大した事では無いのかもしれないが、当時の私には母親の顔色を伺いながら毎日を過ごすのが日課だったと言っても過言では無かった。
例えばコップで飲み物を飲んで居る時でも母親から目を逸らす事は無かった。
コップを倒したら怒られる。
飲み物をこぼしたら怒られる。
…毎日そんな事を考えながら子供時代を過ごしていた。
祖父と祖母は私をとても可愛がってくれたこともあり、幼い私は幼いながらに逃げ場を作ったのだろう…。
祖父と祖母の元に居る事が多かった。
子供ながらに、精神的圧迫を受け続けると癖になるのか、祖父と祖母の前でも何かと変に気を遣っていた私に、祖母が見兼ねたのか、
『好きな様に食べたり飲んだりしなさい。子供なんだから、遠慮はする事無いんだよ?』
と、少し悲しそうな顔で言った。
きっと祖母は私が母親から精神的虐待や圧迫を受けている事に気付いて居たのだと思う。
だけれど、それを止める事の出来なかった自分への歯がゆさも感じていたのだと、後々知ったけれど…。
祖父と祖母の前でだけは私は子供で居られた。
良く笑い、良く泣き、良く怒りもした。
だけど、それは他の場所では出来なく、幼稚園や小学校では、殆ど人と話す事は無く、大好きだった絵ばかり描いていた。
それが今では役に立っているから、人生とは面白いと思う(笑)。
私は祖母から見て、相当ピリピリしていた様で、中学生になった頃から、顔を見る度に
『もっと、おおらかな心を持ちなさい。そうすれば、もっと可愛くなるからね。』
と言われた。
でも、当時の私には“おおらか”という意味が理解は出来なかった。
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