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「だからな、兄ちゃんよ」
駕籠を脇に置く、見るも強かな男が立ち上がり、惑うた顔を店中へ向ける。
「そう息巻かれてもワシあ太刀と羽織ぐれえしか見とらんのじゃけ。兄ちゃんの捜しとるそん野郎かどうかなぞ判りゃせんわァて」
茶店の長椅子、軒先の二ツに陣取り居った野郎が二人。一方は旅籠屋の男、他方は吹き晒しの装いの男。手を衝き迫る吹き晒しに、旅籠屋は圧され立った様で在った。
「為れば一ツだけ答えよ。其奴、その腰に、瓢箪は下げて居らんだか」
奇々たる問いに旅籠屋は惑い首を捻るが、やがて手を打ち語り出した。
「おお、おお。そうじゃ、瓢箪じゃあ。刀持ちたァ云うても妙に腰回りが騒がしかったけ。ありゃあ瓢箪に間違いねえ」
男の眼が細う成り行くに旅籠屋は気付かず、淑とした下女が茶器を下げるを見て暇を告げ勘定へ向こうた。
それを見ゆる男の手は懐へ延び、硬き感触を確かめた。
「そうじゃ、兄ちゃん」
旅籠屋の声に手を戻し、視線で応えた。
「未だ名前聞いちょらんだな。行脚の隙間に茶をしばくのも何かの御縁じゃ、教えてくりゃあ」
無遠慮な質問に、然し硬き声音たれど誠実たる答を返す。
「己は依知川、依知川丹蔵と申す者。今は斯く風貌たれど、嘗ては梁田の衛士であった」
「へえ、梁田の。始めはあんまりな格好だから盗人かとも思うたが、いや失礼、喋り方から違うものよな、衛士やら武人やらは。直ぐにそうじゃねえかと思ったよ」
では、と別れを告げ駕籠を牽いて去る旅籠屋を見送り、男、依知川丹蔵は茶を啜った。温さに眉を曲げると、妙に気が利く下女がすすと参りて茶を代える。
「旅籠屋とは、流石人を数見る者よ。危うき所であったやも知れぬ」
丹蔵は吹き晒しの袖とおぼしき処を摘まみ、安布の解れを二ツ程見付けた。然してそれを気にする事も無く、すっくと立ち上がりて身を正す。
「否、斯様な事さえ、最早些事と成ったのだ」
依知川丹蔵、嘗ての衛士にして今や盗人、そして仇討ち人となるを目論む男である。
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