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白刃を握る手に膚を貫く感触は返らぬ。只金物の斬り結ぶ、きいんと云う音が殺意の町辻に残る。見れば、男は弓手にその刀を振り裂き、丹蔵の短刀と噛み合わせて居った。対の手を柄に添え、造作も無く丹蔵の喉を喰い千切らんと太刀を走らす男の動きを、丹蔵は寸手で見取り、腰を浮かして背を反らす。眼前を通り行く切ツ先を見、彼は自らの失策を悟らざるを得ぬ。
「其の面の程、三十四十と計りかねるが、妻も居ろうし子も居ろう。斯くも奪われようと思わなんだろうて。左様な顔をして居るわ! 殺せ、屠れ、踏み付けよ! 仇を討つとは斯様の事よ!」
今や屠すべき御敵は何処からより取り出したる得物を担ぎ、相対すべき剣客として眼前に立つ。一瓶の酒が如何程の物かは相知らずとも、優男は何処にか去りて狂鬼と化した。鬼は大太刀を正眼に構え、刃の先に視線を投げた。
「実愉快、愉快なり! 切ツ先結ぶ名覚え居れ! 我が名は平塚怨十郎正継、天下に荒ぶ、鬼の名よ!」
宣名、即ち、不退転。
死合いの請を、丹蔵は承けねばならぬ。無頼に身を堕した者は、死に場所を見誤ってはならぬのだ。短刀を逆に構え、丹蔵は威勢を張った。
「我が名こそは依知川丹蔵、貴様を殺す、其れ已の者!」
殺陣の気配に、俗人は姿を消し居った。一陣の風が吹こうとも、其が揺らすは血の陣羽織のみ。丹蔵は揺れず、鬼も動かぬ。逆逢いの切ツ先は殺意を通じ、互いの機のみを眼に映す。
動かぬ。
動かぬ。
動かぬ。
右隣。
全く自然な有り様であった。斯く在るのは当然であり、余論を挟むべくもなく、大太刀の切ツ先は丹蔵の頸に呑み込まれようとして居った。短刀を滑り入れる間があったのは、逆に構えて居った幸いの為に他ならぬ。身一ツを廻し、太刀と背中合せに為った先に白刃を乗せつ鬼を突く。狙うは同じく、喉の元。
然し鬼たる怨十郎は刃を反して半身を替え、再び噛み合う刀身につめたき音を鳴り散らす。左脚を引き袈裟を斬る造作は丹蔵には捉えられぬ。只切ツ先の閃きを見据え、その波打つ流れの先に在るのが己が手首たるを知り、咄嗟手を退き刃で迎えたに過ぎぬ。突き切って居れば今頃丹蔵の右手は宙を舞っていたであろう。
寸隙を縫う太刀捌き。彼の御仇は、鬼の名に違わぬ凶の剣士で在った。
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