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「死ねッ……」
逆手に握った短刀を直下に突き下ろす。切ツ先は怨十郎の右肩を貫く軌跡を描き、しかし陣羽織を掠めるのみ。唯己が剛力一つにて、身体を傾げ、地より離れ死に体たるを防いだのである。最早人の業ではあらぬ。
「地這う獣が歯牙を研いだか! 善きかな善きかな」
右の肩を薄く割かれながら鬼は笑う。戦鬼は刃交わす敵手すら選ぶ者。酒に浸るとて生来の気質は消えぬ。敵手の強者たるを悦ぶ鬼は、然して更なる強きを望む。
「だが、天分とは言い難い。長き刃は剛く一心に断つ為に長く、短き爪は間断無く裂く為に短いのだ。爪持つ獣が草を食んでは、天道様も嘆き居ろうて」
尤も、幽玄自在たる鬼の大太刀、鬼哭の刃はあらゆる体から間断無く斬り上げ打ち下ろし振り裂き薙ぎ割って居ったのであるが。
堅守の構えを解き、一手放つを先んずる丹蔵は相対の度にその身に刀傷を増やした。向かう鬼は肩こそ裂かれど、以来一寸の傷も負わぬ。
殺しが足りぬ。丹蔵は気付き、更なる死点を見やる。死線を斬りては習練が甘く、鬼の羽織にも触れ得ねど、死点を貫く妙技に於いては斯く一角の技量と負う。
二度丹蔵の凶刃が天より地より怨十郎を狙うて迫り来、悉くが鬼哭の廻し振らるに弾かれ、夜半の蝙蝠が如く鳴る。鬼哭が発条を描きて丹蔵の鼻先へ寄れば、朱線を走らす切ツ先を流し見つつ身体を前へ。
絶死の覚悟が生んだ一度限りの好機に、丹蔵は揺れず構えの外に在った弓手を添え、裂帛の気合を込めて突上を放つ。狙うは顎を抜けて脳髄。
鼻先から左頬の真一文字から朱を散らし、確殺の一刃を放つ。丹蔵は鬼の顎を貫く己が短刀を、手ずから殺めつ奪い得た無銘の刃が怨敵をも殺め居る様を、幻視した。
現の牙が刃金を砕く。
怨十郎は迫る鋭刃を避けもせず、鬼の歯牙にて喰い千切り居った。半身を取りて身を低く、逆上段に太刀を構えつつ刃金の欠片を吐き出す様は、あまねく人の端にも収まらぬ。
「不味いわ、戯け」
口の端より血唾と悪罵を垂らし、凍り付く丹蔵の土手腹を蹴飛ばす。構えも無く在った丹蔵が遠く吹き飛び転がる様を、怨十郎は愉悦と共に見ゆる。
「良き殺しなれど、技たる技の端切れすら見当たらぬ。されど鈍った腕の構えも見えぬとは、如何な話よ」
太刀ではなく脚を出すは、問うを逃すに惜しきを感じたが為。
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