セレリア王国とセレリア人民共和国について

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本編に入る前に少し舞台となる国の成り立ちについて書きたいと思います セレリア王国(西セレリア)とセレリア人民共和国(東セレリア)は、ドイツ、チェコ、スロバキア、ポーランドと国境が接している小国である もともとは、三十年戦争終結後のウェストファリア条約において主権が認められた320もの諸侯のうち、神聖ローマ帝国東部、ベーメン地方に近い場所を領地としていたいくらかの諸侯が結んだ安全保障のための同盟が発展し、セレリアという国家を形作ったものである この後、ポーランド分割の際オーストリア帝国の領土に併合され、一時国家が消滅したがWW1の後、米大統領ウィルソンの提唱した民族自決の考えにのっとりセレリア共和国として復活する しかしWW2ではナチスドイツに占領され、ゲルマン系の多い西部地域ではドイツ軍に協力的であったがスラブ系が多数を占める東部地域ではパルチザンによる根強い抵抗運動が起きた これがもとで、その後一旦はセレリア王国として独立したが、すぐに東部で共産主義革命が起こり共産化 89年に東欧諸国が軒並み共産主義を否定する東欧革命がおこり、91年にはソ連が崩壊したにも関わらず東セレリアの体制は変わらなかった
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