セレリア王国とセレリア人民共和国について

3/4
20人が本棚に入れています
本棚に追加
/21ページ
しかしソ連の衛星国の中では、比較的ましな経済状況だったとはいえ、やはり長年の秘密警察の暗躍や行き詰まりを見せ始めていた計画経済による国民の不満はかなりのもので、90年にはデモ隊と官警の衝突による流血事件までもが起きていた(ゴドルフブルク事件) これに対し東セレリアの元首であるリュドミール・ナザロフ書記長は軍隊を動員し戒厳令を敷いた この直後、ナザロフ書記長は混乱に乗じて党上層部や軍の幹部(つまりは政敵)を多数粛清し、事実上の独裁体制を作り出した しかしこのことでナザロフ書記長は新たな敵を多くつくり、国民の不満は増大した そのため、すでに軍事政権となっていたセレリア王国(西セレリア)へと宣戦布告し電撃戦を仕掛けたのである
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!