セレリア王国とセレリア人民共和国について

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一方のセレリア王国(西セレリア)はというと、冷戦終結前の84年の総選挙において第一党の共和党が急進左派のセレリア愛国人民戦線に敗北し、あわや共産化するかと思われたが、すぐに西側諸国の援助を得た軍部がクーデターを起こし軍事政権を樹立 憲法は一部停止され、国会は停止させられた (ただし、国家元首である大統領以外の閣僚はその後の国民選挙で選ばれた文民ばかりで、大統領と同等の権力を持つため独裁政権かと言えば疑問である) もちろんこれにソ連をはじめとする東側諸国は激しく抗議をしたが、当時ソ連はアフガニスタン戦争が泥沼化し余裕がなかったため実力行使はできず、東セレリアはソ連に押さえ込まれていたため戦争をふっかけることはできなかった しかし、このことが原因となりセレリア紛争が起こることになる
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