ぷろろーぐ

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ぷろろーぐ

人間に、恋をした――…。 「………」 のだと、思う。 恋というものを経験したことがない俺にとって、それを判断するには少々知識が足りない。 足りないから、曖昧。 ハッキリと明確にならない答え。 繰り返す疑問。 これは恋なのか。 それともまた違うものなのか。 それを肯定するものはいなかったけれど、否定するやつはいた。 『おれたちがニンゲンに恋するわきゃねぇだろ』 燦々と太陽の光を浴びる、とある一軒家の屋根の上で、そいつは笑わせんなという言葉とは相対する表情で言い放つ。 ふあぁーっ、とあくびをしたその口は大きく開き、とがった二本の歯と薄い赤色の舌が丸見えだ。 『だいたい、なんで種族も外見も違うニンゲンに恋なんかできるんだよ』 ご最もな意見だと、頷くことしかできなかった。 『あれじゃねぇの?飯食わせてもらって、変な勘違いしたんじゃね?恋すらしたことないお前が、どうしてその感情を、しかもニンゲン相手に。恋だと思える?』 返す言葉もない。 頭垂れる俺に、説教じみた言葉をつらつら語る相手は、一応ここらでは名の知れているベテラン猫だ。飯の穴場ならまかせろ、と豪語するだけあって、ここらの地理と住民を心得ている。 そう、猫なのだ。 こいつも、俺も。 れっきとした。 それでも俺はこれを恋だと思う。 今まで人間相手にこんな気持ちになるなんてなかった有り得なかった。 飼い猫ではない俺たち…つまり野良の猫にとって人間は食料を与えてくれるもの。聞こえは悪いが、冷蔵庫みたいなものでしかないのだ。 『百歩譲ってそれが恋だとしてもなぁ、ニンゲン相手にそれは不毛ってもんだぞ。やめとけやめとけ。ニンゲンっつーのはろくなのいねぇからな』 その言葉には、さすがに頷けなかった。 だって、そんなことない。 もし人間がベテラン猫の言うようにろくでもないやつばかりだとしたら、俺はこんな感情抱かない。 というか、その人間に飯を恵んでもらっているのに、相変わらずこの猫は人間を見下しているらしい。 仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。 今では野良の世界でベテラン猫と呼ばれたこいつも、数年前までは飼い猫だったのだから。 捨てられて、この世界にやってきたらしい。 人間を恨む…とまではなくても、あまり良く思っていない。 『まぁ、とにかくだな。ニンゲンと猫の恋愛とかねぇから。早いうちに諦めた方が身のためだぜ』 そう言うとそいつは、再び大きなあくびをし、寝に入ってしまった。 ベテラン猫の言葉を反芻。 長めの尻尾がゆらりと揺れる。 考えても仕方がない。 どうせ正解なんてものはないし、あったとしても誰も知らないだろうから、と。 ベテラン猫のいうとおり、なかば諦めながらあの人がいる場所を目指した。 人通りが少ない、寂れた道を行く。 どうってことない町。 平日の昼間はこうして人が見えないけれど、夕刻に近付けば学校帰りの子供や仕事が終わり買い物へ向かう人がちらほら見え始める。 そんな場所で俺は生まれ、育った。 飼い猫ではない、野良として。 野良は楽でいい。 人間の顔を気にして過ごす必要などない。好きな時に好きな場所で寝て、腹が減れば気まぐれに飯を与えてくれる家をふらつく。 いざとなればゴミ捨て場へ。 あれは体が汚れるから好きではない。 「にゃー」 声が聞こえた。 呼び掛けるようなその声に反応して振り返ってみれば、そこにいたのは思い描いていた猫の形のものではなく、それよりもっと大きいもの。 部類で言うなれば、人間。 「あ、こっち向いた」 俺が振り返ったことに機嫌を良くするその人間。さらに部類すれば人間の女は、ケラケラ笑いながらこちらを指差してくる。 不愉快極まりない。 人間はたまにこうして、俺たちの真似事をして反応を楽しむ。 ろくでもない。 なにが楽しいんだ。 まんまと騙された俺も俺だが、腹立たしい。 見ればその女は何も持っていなくて、学校の制服とやらを身に纏っていた。 おいおい、学校はどうしたよ。 呆れ半分憤り半分の視線を向け、俺はくるりと身を翻す。 食い物を持ってない人間に興味はない。 食い物を持っていたとしても、あの人以外の手に撫でられようとは思わない。 「あ、ちょっと待ってよー。怒ることないじゃない。お詫びにあんたのお願い聞いてあげるから、ね?」 じゃあ飯だけ寄越せ。 そんな意味を込め、にゃーと一鳴きすると人間は笑った。 「ふふ、そんなことでいいの?別に私はそれでもいいけど、アンタ人間に恋してるんでしょ?人間になりたいとか、そういうのじゃなくていいの?」 尻尾を向け女と反対方向へ歩き出していた体がぴたりと止まる。 放たれた言葉を咀嚼して、理解して。 ようやく、振り返る。 変わらずあったその笑顔は、手招きをした。 「おいで。人間にしてあげるから」 疑う。 警戒する。 なにもんだ、コイツ。 見た目はただの人間。女。それは間違いない。 しっぽが揺れる。 魅惑的な誘い。 乗るのは簡単だが、かなりのリスクを伴う。 「別に騙そうなんて考えてないわ。そうねー…あえて言うなら自分のため?人獣大好物なの、私」 食われるっ!? 思わずサッと女から距離を取った。 「あ、違う違う。食べないし。アンタ美味しくなさそうだもん」 そう言った女は立ち上がり、背中を向け妖しく笑みを作った。 「まぁ、ついてこれば分かるわ。強制じゃないわよ」 そのまま距離を取って行く女。 ついていくか否か。 ついて行けば分かる。 この女が何者なのかも、どうして俺の秘密を知ってるのかも、今俺の中に宿る疑問全てが。 欲求と警戒心が混ざりあう。それでも女は歩調を弛めず歩いていく。 じっとその背中を見つめ迷う、ひらいていく距離に焦る、欲求が行けと促し、警戒心がそれを引き止める。 不意にその顔だけがこちらを向き、口を開いた。 「来ないの?」 それが引き金だった。 足が勝手に歩みを始め、いつの間にかそれは速くなり走って追い掛けている。 置いて行かないでとすがるように。 見捨てないでと、乞うように。 ムカつく女だ。 その言動ひとつひとつが苛立ちを覚えさせる。 それでも背中を、女を追い掛けてしまうのは、藁にもすがる思いからか。 俺は女と数歩の距離を取り、隣を歩いた。 「勇気あるわね」 見下ろす瞳が細くなる。 「何をされるか分からないのに、怪しい人間についていくなんて」 黒髪が風に揺れる。 「人間に恋するなんて」 膝上およそ十センチのスカートは、俺の視線から中の黒い下着が丸見え。 「愚かね」 言われなくても分かっている。 あの人に言い知れぬ感情を抱き、それを恋だと思い始めたその日から。 女は口を閉じた。 何の反応も示さない俺が気に食わなかったのか、それともただ単に話題がなくなったからなのか、それに表情はない。 真っ昼間のこの時間帯、当然のように人が見当たらない。道を歩くのはムカつく女と一匹の三毛猫。 「名前はなんていうの?」 唐突に聞こえた声は、俺に投げ掛けられたもの。 野良猫の俺に対してそれは嫌味かと、本気でそう思った。 町をうろつく俺に子供が勝手にタマやらミケやらネーミングセンスの欠片もない名前で呼ばれたことはあるが、あいにくどれも認めていない。 名前はない。 いらない。 つけてくれるなら、あの人がいい。 「いきなり名前をつけてなんて言われても、その人も困るわよ」 うるせぇよ。 「それにアンタはこれから人間になるんだから、名前が必要なのよ?自分でつけられないなら私がつけてあげましょうか」 いらんお世話だ。 そう吐き捨てるように呟くも、この女はどうやら自分に都合の悪い言葉は聞こえない作りになっているらしい。 そうねー、と考える仕草。 それが証拠だ。 「テル」 輝くって書いて輝。 拒否権はないわ。 女が笑う。 やっぱりこいつはムカつく女だった。 「ついたわ」 ここが私の家よ、と見上げる視線の先にあるものは大豪邸。金持ちかよ、なんて思ったのも束の間、不意に体が宙に浮いた。女の腕に俺の体はすっぽり収められ、そのまま門を開け敷地内に入っていく。 不思議と抵抗はしなかった。 広い庭。 その中央にある大きな噴水。きらきらと太陽の光が反射し、それはなかなか見応えがある。魚はいないかとそこを通り過ぎる際に覗き込んでみるが、どうやらそういう類のものはいないらしい。 ふと女を見上げる。 視線はそのまま家屋を見つめているのにも関わらず、表情は険しい。 俺の視線に気付いたのか、目が合うと、その表情はふっと柔らかくなる。 「私この家嫌いなのよねー」 唐突にカミングアウト。 知るか、そんなもん。 「でも、あんたが家に来たら、少しは好きになれるかしら」 悪戯に笑うくせに、どうしてこの腕は俺を抱き締める力を強める。 なぜ縋るように、逃げないように、身体を撫でてくる。 人間とは、相変わらず不思議な生き物だ。 色々あるらしい、と言えばそれまでだが、少しだけ、この悲しげな瞳を持つ女に興味が湧いた。 ゆらゆら揺れる腕の中で、おとなしく抱かれてやっていればいつの間にか家屋のどこかにある一室にいて、女は俺をイスの上に座らせるととある扉から何やら怪しい機械を引っ張り出してきた。 女の背丈をも越えるそれは当然俺よりもでかくて、自然と見上げる形になってしまう。 「さぁ、この中に入って」 促された機械の中、警戒しながらも恐る恐る中へ入る。いい子ね、と言って頭を撫でられ扉を閉められる。 一人きりになった空間。 外から恐ろしい言葉が聞こえた。 「まぁ…死にはしないと思うわ」 おい、こら…。 そこは断言して欲しいところである。死にはしないと思うと、それはつまり死ぬような状況になる可能性は充分にあるということか。 暴れはしなかった。 代わりに暴言を心の中で呟いた。 でも不思議と不安とかそういうのは一切なくて、ついさっき出会ったばかりの人間はムカつく女だが一応信用はできると思う。 あくまで思うだけ。 完全に信じたわけではない。 「恐くないわよ」 声が聞こえたと思ったら、突然機械は唸りを上げた。どこからともなく光が溢れだし、眩しさに思わず目を瞑る。 バチバチと不安になる音が聞こえ、意識せずとも耳が動くのが分かる。 静電気が身体中を襲っているような感覚だった。 しかしその感覚にもいずれは慣れ、いつの間にか機械の唸りは聞こえなくなっていて、ゆっくりその目を開ける。 扉もいつのまにか開けられていて、目の前には女がいた。 「私、ショタ受けはあんまり好物じゃないのよねー」 開口一番がそれだった。 俺はきっと、一生、こいつの言葉を趣味を好物とやらを理解できないんだろうなと悟った瞬間でもあった。 やれやれと諦め半分に溜め息をついていると、不意に目の前に付きつけられた鏡。四角い、縦横に十センチはあるなんの変哲もない鏡だ。 それでも俺は、そこに映る姿に、目を見開いた。 たぶん、今まで生きてきた中で一番驚いたんじゃないだろうか。 「…………」 「ご感想は?」 「…夢?」 「はい、ぶっぶー。現実ですよ、紛れもなく」 「なんで!?」 「あんたが望んだんでしょう?」 「いや、望んだけど!!でも本当に人間になれるなんて…」 「うんうん、人間と普通にしゃべれるようになるなんて?」 「そうっ、しゃべれるように…ぎゃーーーっ!!?俺人語しゃべってるーーっ!!!!」 変な機械に入って、体中に電気が走り、それが終わったと思ったら女には変なことを言われ、鏡に映る俺は人間の姿になっていた。 なんだこれわけわかんねぇ。 「お前…なにもんだよ…」 とてもじゃないが普通の人間とは思えない。 よくよく考えてみれば、こいつは最初から俺の言うことを理解していた。人語をしゃべる人間になる前から、俺の言葉を。 これが人間の言う魔女というものなのか? 変な術を使う魔女っていうのが、こいつのことなのか? 「私はただのメカ好きよ」 「メカ、好き…?」 「そう。メカっていうのは、まぁいわゆる機械ね。自分で開発するのが趣味なの。ちょうど造ってたやつの実験体が見付かってよかったわ」 「………実験体って俺のことか」 「うん」 「うん、じゃねぇえええーーっ!!」 いや警戒しながらもこの女についていった俺も悪いけど、下手したら俺死んでたじゃん!!死ぬことはないと思うわ、なんて言ってたくせにそんな根拠どこにもなかったってことじゃねぇか!! 「…い、生きててよかった…」 「そうね。じゃ、さっそく行くわよ」 「は?」 「は、じゃないわよ。あんた何のために人間になったと思ってんの」 その言葉を聞いて、ようやく思い出した。 あまりに身に起こったそれが衝撃的すぎて、すっかり忘れていた。 「服はそうねー…、私の小さな頃の服でいいかしら」 取り出してきたのは女用とも男用とも言いにくい普通の子供服だ。 「じゃあ、行くわよ。あんたの好きな人のところへ、ね」
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