第四十六章 本当の名前

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「ジーク、こっちこっち!」  身を引き裂くほどに冷たい風が吹き付ける夜闇の中で、しきりに手招きをする黒髪の少女、黒崎可憐。  それに誘われ、彼女の方へと足を運ぶ銀髪の青年、ジークフリート。  五百年後の世界ですら予想だにできなかったであろう、地表の九割以上が荒廃した千年後の地球。  そんな世界で、最後の楽園とも呼ばれる広大な自然公園、エリュシオン。  果てしなく続く西の園。足場を覆う無数の草と二本の大樹だけが生える草原。夜鳥の鳴き声と、鈴虫の羽音にも似た虫の音が真夜中のエリュシオンに響く。そこには、本当の意味で人の手が介入していない自然が存在していた。 『立ち入り禁止区域』。  計画を壊す者──すなわちラーズグリーズの長、スケィエル=ラ・ファイエット。彼はこの場所をその一つに指定していた。  エリュシオンに聳える二本の奇妙な大樹、通称アダムとイヴ。残された人々は、雌雄一対となるその樹をそれぞれ知恵の樹と命の樹と呼称し崇拝するようになっていた。また同時に、時折それらが見せる不思議な現象に人々は畏怖の感情を抱いていた。  偶然か、或いは幻か。二本の大樹が合わせ重なり、更に巨大な、天をも貫く巨木へと姿を変えることがあるのだと云う。  だからこそファイエットはそこへの立ち入りを禁止していた。何が起こるかもしれない恐れがあったから。  にも関わらず、なぜ二人がそこにいるのか。  それは今より数十分前、夜間に可憐がこっそりと城を抜け出したことに起因する。そんな彼女を連れ戻す為に追っているうち、彼もまたそこに足を踏み入れてしまったのだ。 「来た来た。ねぇ、ジーク」  憂いた声で近付くジークに可憐は囁く。  それから両手を大きく広げ、目一杯に冷たい空気を吸い込んだ。ほんのりと若草の匂いが鼻腔をくすぐる。  けれどもその視線は二本の大樹の遥か上の方を捉えて離さない。 「聞こえる? イノチの声、そこかしこからしてるの」  その時の可憐の表情はどこか悲しいものをしていた。 「…………いや」首を横に振るジーク。 「……そっか」  どこか残念そうに言葉を漏らす可憐。  そうして二、三歩前に歩いた彼女は、二本の大樹が聳える真ん中──等間隔でそれらに挟まれる形になる場所──で歩みを止めた。 「ここにね、ほら」まるでそこに壁があるかのように大樹の間の空間に手を突く可憐。
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