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こうして82年からスタートしたグループCは、当初はポルシェ対ランチア、ポルシェユーザーのプライベーターという形で進んでいく。
量産車にもかかわらず戦闘力が高く、お金さえあれば誰でも買えたポルシェ956は飛ぶように売れ、レースの敷居を下げるべく軽量な車重と更に厳しい燃費規制という形で施行されたグループCジュニア('84よりC2)規定にもそれなりに中小コンストラクターが集まったため、ランチアが84年に撤退しようとも一定以上のエントラントは集まり、盛況であった。
86年にTWRジャガーが殴り込み、ザウバーにメルセデスが肩入れするようになると、一気にレースは高速化。ル・マン24時間ですら『24時間のスプリントレース』と形容され、燃費が許す限りのハイペースでカッ飛ばし、最後に生き残ったチームが優勝、というレースが展開されるようになり、注目度も最高潮に。最大7つのメーカーが参戦するという1大カテゴリーに成長した。
技術の進歩も止まることを知らず、ペースカーラン時に至っては15km/㍑という驚異的な燃費性能を誇った。
しかしこの中で主権はポルシェ→ジャガー→メルセデスと移っていき、89年と90年のWSPC(※世界スポーツプロトタイプカー選手権)でメルセデスがほぼ全勝するなど、メルセデスが一人勝ちし始めると、他メーカーやファンは次第に変化を求めるようになってきた。
一方グループBを突然終了させたことで、プジョーとの提訴問題にまで発展しかけていたFIAはプジョーのためのレースを用意し機嫌を取ろうとしていた。
さらにここに絡んで来たのが当時のF1で、ターボ廃止によりエンジンメーカーが激減していたため、新しいエンジンを求める声があった。
こういった要求を果たすべく施行されたのが、91年~93年ル・マンまでの"新Gr.C"だ。
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