当たり前の未来予想図

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よく扁桃腺を腫らし、40度の熱を一週間も出しながら“目指せ!皆勤賞”か?学校に行く弟のパワフルさ。 病気がちで学校も休む事のあった私は、弟の強さに呆れるやら羨ましいやら・・・ そんな弟に最初の試練が訪れたのは小学3年生の時。 いつも夕方まで公園で遊んでいる私が、その日に限って、自宅で少し長めの昼寝をしていて、騒ぎに気付いた時、弟は救急車で搬送された後でした。 当時、母はママさんバレーの一員として、地区大会などに出場していて、その日も公園のコートで練習中。 弟は、珍しく夕方の公園で、滑り台で遊んでいた時、偶然の悲劇が重なりました。 当時、公園に有った滑り台は、中間の手摺が階段式に下がり、その直角になった手摺で体制を崩し、滑り台途中から落下する子供が何人か出ていて、その滑り台の存在を不安視していた保護者もいました。 それまでの落下児童は軽傷で済んでいましたが、弟だけは、運が悪かったのでしょう…頭から落下し、重体に。 騒ぎに気付いた私に、父は八つ当たりににも似た怒りをぶつけてきました。 『普段、お前が夕方外に出るから、兼まで真似して、大怪我したんやぞ!お前のせいだ!』 父の理不尽な怒りに、小学生だった私は泣くしかなくて・・・ 弟は市内の植木整形に搬送されました。 当時の大先生は、弟を診るなり、帰りかけた救急隊員を呼び止め、 「ウチじゃ駄目だ!看護婦付けるから、すぐに宇和の山本に連れて行ってくれ。ここじゃ助からんなる!」 当時、市内には脳外科が無く、最初は体した事無いと思っていた母は、大先生の態度に不安を膨らませたと言いました。 現実…弟は死に近い状態だったのです。 それは、弟の耳から流れ出るピンク色の体液が証拠でした。 頭蓋骨陥没骨折 それが怪我の名称。 落下の衝撃で鼓膜が裂け、割れた頭蓋骨から耳を伝い、脳を浮かす髄液が流れ出している、極めて危険な状態だったのです。 運ばれた先の病院では、生命の危機と予断を許せない状態の弟が入院しました。 両親は瀕死の弟につく為、私と姉は母の姉に当たる人に預けられる事になりました。
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