欲望

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 私は思わず感光しきったフィルムをカメラに押し込め、おもむろにひたすらシャッターをカチカチし始めた。そのカチカチのリズムが何とも小気味よかった。その一定のリズムのためだけにただただシャッターをカチカチしているだけだった。カチッカチカチ、カチカチッカチと彼女の旋律とともに舞っているだけ。何も映ってはいない。ただ自分がこの目で見た、ありのままの彼女を真っ暗闇に二重写しにするだけだ。そこでまた溺れてゆけばよい。何の事はない、私はずっとずっと深い深い底まで、たわわに実った檸檬を抱えて溺れ続けるだけなのだから。 「とん。」 ふいに彼女は私の反芻を打ち消すかのように机上の「*」を人差し指の腹で舐め回した。私はひどく狼狽した。その顔にはどこか私自身を同じように舐め回すかのような不気味さがあって、それに感応して私はひどく裏切られたような心持ちがむくむくと沸き起こるのを感じて、その困惑を隠し通せなかったからだ。私はあぁしまったと思った。ある種の余裕をその瞬間に失ったのだ。  しかしその不気味さから目をそらす事もできはしなかった。何故なら彼女は私の檸檬を今にも搾り出してやろうという意地悪な薄ら笑いを浮かべていたからだった。何を隠そう私には「*」なぞるような行為は私の魚を刺激しているとしか思えなかった。茎は軽やかに伸びていき、半ば湿っぽくなっている。私は異常な性癖を持っていたということをここで暴露しておかなければならない。そして彼女は第六感的にそれを直感していた。私は彼女にそのことについて話したこともなければ話そうとも思わなかった。いかに私が直前の不運でこの孤独な療養旅行をする事になったのかということについて酒の肴に滑稽に舞って見せただけだった。いやあるいは私は油断をしたのかもしれないと自分の記憶をいぶかしがったが、やはりそうではないらしいということしか頭には浮かばない。確かに彼女は酒も相まって可笑しそうに笑っていただけだった。
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