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本論② -ムスカは「悪人」か-
ムスカ。
ムスカだ。
ムスカである。
イジられキャラとして一部に絶大な人気を誇る、悪役である。
しかし、彼はいったい何なのであろうか。
宮崎駿は、常より「一方的な悪人は描かない」としている。
他作品の場合を考えてみると、「風の谷のナウシカ」のクシャナ、「もののけ姫」のエボシ。彼女たちは多くの人に憎しみを抱かれながらも、守るべきもののため戦った。彼女たちは確かに敵役ではあったが、悪人ではなかった。
では、ムスカはどうだったろう。
ムスカは野望の人である。
守るべきもののために戦ってはいないし、クシャナやエボシに比べるとかなりひどい描かれ方をしている。もちろん、二時間の物語を構成する上で悪役に徹してもらうのが効率的であったというのも事実であろう。
しかし「一方的な悪人は描かない」とした宮崎のスタンスを踏まえると、彼を単なる悪人として解釈するのではいささか安易すぎる。
彼を「夢を追いかけるあまり自らを見失ってしまった人間の象徴」として捉えることはできないだろうか。
彼は野心家だけれど、本当に世界を征服しようというのが本来の目的だったのだろうか。もともとは単にラピュタをみつけることが夢だったのではないだろうか。
「そんなのただの言い伝えだと思っていた」というシータとは対照的に、ムスカは一族の古い伝承を信じラピュタを探し続けていた。ちょうど、父の言葉を信じたパズーがラピュタに夢を描いたように、ムスカもまた言い伝えを信じラピュタに想いを馳せていたのだ。
ムスカは冷血漢である。
いつも妙にスカしている。
そんなムスカが、飛行石の結晶や古代文字を見つけた途端、異様に興奮してみせるのである。古代文字の解読する時、彼は興奮に震える手で一冊のメモ帳を取り出す。あれにはどういう意味があったのだろう。
彼はきっと、長い年月をかけてラピュタを研究し続けていたのだろう。ムスカにとって、ラピュタは少年時代から抱き続けた夢だったのだ。
あの使い古したメモ帳には彼の夢へのあくなき探究心が詰まっているのではないだろうか。
彼は単に世界を征服する軍事力が欲しかったのではなく、ラピュタが欲しかったのだ。ラピュタでなければきっと意味は無かったに違いない。
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