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『誕生日記念』2011/6/5    誕生日を賑やかに祝うのは、人生に絶望して憂鬱になる気持ちを誤魔化すためだ。    こんな人生ならば生まれてこない方がどれだけ幸せだっただろう。世を儚むほどの期待すらなく、人生の低空飛行。地べたを這っていると言っても差し支えない。  生きることで自分も他人も不幸にしかできないならば、どうすれば良い。言葉を吐けば他人を傷つけ。何かをしてもなんの意味もない。  人から愛されたことが無いので、人の愛しかたがわからない。人に信用されたことが無いので、人を信用することはできない。人に感謝されたことがないので、人に感謝することはない。  勇気とかそういう言葉で批判したくばすれば良い。いくら批判されようがやり方が分からないことはやりようがない。  世の中には救いようのない人間が確かに存在する。生きてるだけで不幸を振り撒く。悪意があるなら幸いだ。だが多くはそうではない。  そういう人間がいることが分からない人間は他人を思いやる気持ちなど持ち合わせてはいない。彼らにあるのは彼らの経験則に基づいたそうであってほしいという期待だけだ。  他人は私が嫌いだろう。私も他人が大嫌いだ。  ハッピーバースデイ私。
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