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階段を下りて一階のエントランスを抜ける、そこで俺は呼び止められた。
「あら、ナガトくんお出掛けかしら?」
「おはよう大家さん、ちょっと職探しに…」
「あらあら、可奈保さん…でいいのに」
にこやかに話し掛けてくるこの女性は、このビルのオーナーであり一階のテナントで喫茶店を経営している『吾桑可奈保』という。
昔ある事故で身寄りを無くした静真を養子として引き取り、自身の娘である美奈保と一緒に暮らしている。
旦那さんは仕事で様々な地域に飛び回っているらしく、俺も数える程度しか会った事がない。
「まぁ、一応のケジメとしてですよ、大家さんを目の前に軽々しく名前で呼ぶのはちょっと…」
俺がそう言うと可奈保さんは少し不服そうに頬を膨らませる。
「この小さなビルの住人って…私たちの家族以外は君しか住んでないんだけどなぁ…」
そう、このビルに住んでいるのは俺だけなのだ…マンションではなく、三階建てのビルだ。
テナントの一つが空いた所を可奈保さんの旦那さんと知り合った俺が事情を話し、格安で借りた…という訳だ。
「ま、まぁ、すぐにもう一部屋も埋まりますって…それじゃ俺はこれで…」
「あ、ねぇナガトくん…もしどうしても仕事が無いようだったら…ウチで働いてみない?」
更に呼び止めた加奈保さんから有り難い提案が出された、確かに何度か喫茶店の手伝いをした事はあるが…しかしそこまで世話になるのも悪い気がするんだよな…。
「何度か手伝ってもらってるから君が淹れるコーヒーの味は知ってるし、一から教える手間も省けるし…仕出しとかで男手が欲しいと思っていたのよ」
どうかな?と見上げてくる可奈保さんの言うことも分かる、自慢だが俺は可奈保さんにコーヒーや紅茶のうまい淹れ方を教わってから、結構マジで研究したので腕に覚えはある。
「でも何か世話になりっぱなしな気が…」
「ん~…でも、ナガトくん家賃3ヶ月滞納してるし…断るのもどうかしら?」
むぅ、痛いところをついて来る…などと考えているうちに、可奈保さんが俺にエプロンを手渡す。
「あ、あのう…問答無用ですか?」
「甲斐性なし♪って呼ばれるのと、ウチで働くの…どっちがいいかな?」
…まぁ、いいか…有り難いには違いないんだから。
その日の午後から俺の喫茶店のお手伝いがスタートしたのだった…
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