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持てないんじゃない。
持たないんだ。
貫けないんじゃない。
貫かないんだ。
やれないんじゃない。
やらないんだ。
他の人間は、それらができないことをもどかしく思うのかもしれない。
自分は、そう思うことはない。だって、しようと思わないから。
「……そろそろ、倉に入るか。」
肩が痛いと言って、篠霧は集落に背を向けた。
玄はぴょんと跳ぶようにして、篠霧より先に倉を目指そうとする。
ゆらゆら揺れる尻尾を見て、黙っていればただの犬なのに、なぜ生意気なのだろうと、そう思いながら篠霧は一歩踏み出した。
────その、刹那。
叩きつけるような一陣の風が、篠霧を包んだ。
だが、たったそれだけでも篠霧の体はよろめいた。
体を支えようと片足を一歩後ろにやる。
が、固い石段が、足に触れなかった。
「────え……?」
体の重心が後ろにいって、傾く。
引き寄せられるように、落ちる。
木の葉の間から、青い蒼い、静かで高い空が見えた。
そこで、あぁ、石段を踏み外して落ちそうになっているんだと理解した。
体がすっと冷えたが、不思議と怖くなかった。
両手に持った風呂敷が離れる。
あぁ、じいちゃんのなのに。
ぼんやりと、思った。
そして、この高さと石段の固さじゃ、死ぬな、とも。
事に気付いた玄が、篠霧を見下ろして叫んでいる。
「篠霧っ!!」
あんなに焦る玄の顔、初めて見たかもしれない。
犬なのに表情豊かだな。
意識が堕ちる。
暗く、深い場所に。
これが、死なのだろうか。
ごめん、じいちゃん。
骨董品壊れたかもしれない。
ごめん、しろ。
道場行けないかもしれない。
視界が狭く、暗くなる。
もう光がなくなると思った瞬間。
手に、何かが、誰かが、触れた気がした。
確認する前に、意識は全て堕ちた。
「篠霧────!」
────────……
はっとした。
「篠霧……?」
自室にいた白夜は、縺れるようにして窓に駆け寄った。
そして、篠霧とあの妖が向かったはずの方向を見る。
「……篠霧。」
灰紫色の瞳が、大きく見開かれた。
顔を両手で覆って、白夜はその場に蹲る。
「篠霧…!しのぶ…!しの…!しぃ…!」
家族以外で自分を受け入れてくれた、優しい人。
愛しい人。
「しぃ…!どこ…!」
篠霧が消えた。
ここから、この世界から。どこにもいない。
篠霧が、いない。
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