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(まえおき)
よくご指摘を頂くので、あらかじめ先にお断りをしておきます。
形式上「評論」などと言ってはおりますが、著者の書くものには常に一人称(私)が内在しています。
それは、著者が「作品を観る・読むという行為は、それを分析考察しながら自分の中で消化し昇華すること」であると考えるからです。安っぽい言い方にはなりますが、「作品は、創作者の手を離れ鑑賞者に受けとられることにより完成する」とも考えております。
これは決して創作者を軽視しているわけではありません。ただ、作り手ばかりが重視され受け手が軽んじられることに非常に違和を感じるのです。もちろん、作り手の意図を無視した受け手の在り方は、作品の「鑑賞」というよりも「消費」に近いものがあり賛同しかねます。しかしその反対に、作り手の理論ばかりで受け手を軽視ししてしまうことも、どうも違うように思うのです。
作り手と受け手は、等しく尊重されて然るべきなのではないでしょうか。
著者は作り手でも専門家でもなく、受け手の一人です。ですが、受け手には一鑑賞者としての視点があり、それはそれとして十分価値があるのではないか、そう考えています。
上記の理由により、著者の文章は「評論」と銘打っていたとしても、その重心は常に「受け手(自身)の感じたこと」にあります。
ただ、このことを不快に思われる方もおられます。当然です。「受け手の感じたこと」は、受け手一人一人異なるからです。
例えば子どもが殺されるシーンを見た時、子を持つ人と持たない人がそれぞれ抱く感情はまったく異なります。しかし、そのどちらも真実なのです。
受け手の数だけ真実はあります。
受け手の数だけ存在する「感じたこと」の中の、その一つとして著者の文章を読んでいただけたらと思います。読んだ後、「あんたはこう言ったが、私はまったく違うことを感じたぞ」と思われたら、是非その内容をお聞かせいただきたく存じます。自分が感じ取り得なかったことを他者の視点で知る、それが楽しくて私は文章を書いています。
長くなりましたが、以上を「まえおき」とし、お先にお断りさせていただきます。
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