大陸

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昭和十七年八月十三日 満州国新京特別市は、内地日本本土に比べ立派に整備されている。 敷設された道路の道幅は非常に広く、街路樹が植えられていた。新京に住む住民が狭いと不満を垂らす道でさえも、自動車同士がすれ違える程で、社会基盤(インフラ)は高度に整備されていた。 その中でも、街の中心を走る大同大街に面する、外壁体が花崗岩で施された鉄筋コンクリート造の近代建築には目を見張る。 それらの中の四階建ての建物に、【南満州鉄道株式会社】の本部がある。本社は大連にあるが、満州国が設立されると首都である新京特別市に本部が置かれ、事実上の本社でもあった。 その事実上の本社では、紀藤祐嗣技師が三階の一部を拝借している。 木製の床は年季の入った焦げ茶である一方で、壁は真っ白で目が眩みそうになる部屋であったが、とても設計ができる部屋では無かった。 部屋の壁と床のギャップで設計が出来ないのではなく、製図台や定規、鉛筆などの必需品が無いのである。 ある物と言えば、床に置かれた木製の【国民受信機2号・松下無線製】という名の真空管ラジヲと、一脚の椅子だけだった。 ラジヲからは、スバス・チャンドラ・ボースがセイロン島を解放したと高らかに宣言している内容の放送が部屋に響く。 紀藤は、煙草をくわえて椅子に座り、窓から大同大街を走る車を見詰め、まだ吸えそうな煙草を落とす足下には、沢山の吸い殻が落ちていた。 誤解して欲しくないのは、設計に必要な資材が無い理由が決して三菱航空機や帝國科学技術研究所の不手際にあるのではなく、手違いで発注が遅れているだけなのである。       大同大街image=301364554.jpg
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