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「父上っ」
雅伊様はその声に気付き、そちらを向きなされました。
あれからいくつ年が経ったのでしょうか、雅伊様は譲位され帝でございます。
雅伊様の息子、道紀(みちのり)様はまだ元服されてはおりませんが、将来が期待されるお方。
「また夜桜を見ておられると、母上が申しておりましたので」
雅伊様は桜の季節になると、一人で夜桜を眺めてられているのです。
「…いうなる桜の花よ、やうやう散りて我が妹のごとく」
桜をどこか愁いを帯びた表情で見つめられていた雅伊様は、ふと呟かれました。
「まだ妹…母上は亡くなっておりませんよ!」
「そうであったな…」
道紀様は母上(皇后)のことだと思われたようで、雅伊様は苦笑しなり道紀様の頭を撫でられました。
「道紀。女御や更衣を持つのはよいが、愛しい人を粗末にしてはならぬ。…愛しい人は最期に私に夢を見させてくれた。あれは、このような宵であったなぁ」
道紀様は瞬きなさいました。
ただ、桜を眺める雅伊様があまりお分かりになられていないようで。
あれから、雅伊様も病を患われ、道紀様に譲位なされました。
「来世でまた会おうではないか、我が愛しき世良式部よ」
と申しなされて、桜を見ながらお亡くなりになられました。
齢は四十でありました。
さて、来世で巡り会うことは出来たのでしょうか。
私にも存じません。
月に桜の美しい宵でございます。
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