【一】

4/9
前へ
/13ページ
次へ
「おい、坊主」  ぶっきらぼうな声。しかし、先程のような緊張感はない。  少年は瞼を持ち上げるのさえ億劫そうに、半分ほど開いた目でちらりと男の方を見上げた。  その瞬間、頼りなげに瞬いていた街灯がほんのひと時だけ輝きを増し、男の顔を闇の中に浮かび上がらせた。  ほんの一瞬の輝き。  それを視界に映し、少年が驚きに目を見張った。 「生きてるな」  男が満足そうに頷く。  年はかなり若い。せいぜい二十歳をいくつか過ぎたくらい。響きのよい、いくぶん高めのテナーの声。  ぶっきらぼうな口調は、スラム育ちの所為なのだろう。この辺りを、陽が落ちてからも平然と歩き回っている事からも窺える。  世慣れた、あるいは世間の裏側に片足を突っ込んだ、スラム育ちの若者。  そんなところだろう。どこにでもいる若者だ。  しかし、少年を驚かせたのはそんな事ではなかった。  粗野な口調や場所柄を考えれば、到底信じられないような現実が、少年の目の前に立っていた。  再び翳った街灯の明かりは若者の表情を隠したが、ぽかんと見上げる少年の様子に気付き、苦笑する気配が伝わってきた。  初対面の相手のこういう反応は、しょっちゅうなのかもしれない。 「……腹、減ってんだろ?」  次に若者の口から発せられたのは、少年が予想したような言葉ではなくて、咄嗟に反応が遅れてしまう。  何も答えない少年に気を悪くした風もなく、若者は更に続けた。 「中華は好きか、坊主? 一緒に晩飯食う約束してたヤツが、ドタキャンしやがってな。家にゃ二人分の晩飯が温め直すだけになって待ってるし、デザートもばっちり調達してきちまったんだよな。一人じゃとても食い切れねぇし、捨てるにゃ勿体ねぇし。お前、食うか?」  言葉の意味は判るが、その真意を測りかねて、少年は身体を緊張で硬くしたまま、やはり何も答えられずにいた。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加