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「ああ、はい。お久しぶりです」
おずおずと頭を下げて、部屋に入る。
「丁度良かった!私先週から休んでただろ、ずっとやってなくてさ。九路盤やらないか?」
腕が鈍ってそうで少し怖いなぁ、なんて言いながら先輩はこちらの返事も聞かずに小さな碁盤を持ち出した。
九路盤は将棋の中でも一番少ない升目で、勝負は比較的短時間で着く。
拍子抜けした。
それくらい、彼女のノリは普段と一緒だったからだ。
「じゃ私が先手だな」
「はい。お願いします」
お互い深々とお辞儀をし、先輩がパチンと石を盤上に置く。
碁石の形に窪んだ爪が、頭上の蛍光灯の光を微かに反射していた。
先輩に初めて会ったのは、梅雨に入る少し前だった。
高校に入学したての頃は、数日に一回のペースで保健室で谷崎先生と話し合っていた。僕の母が余計なことを先生に相談したせいだ。
いや、母も先生も悪くない。二人とも僕を心配してくれていたわけだから。
それでも、それが僕にとっては過剰なお世話だったのだ。当時から、ある意味覚悟は決まっていた。
自分の有り様が、世界にとっては異質だということは理解していた。
だから噂が半端にひろまるこの場所をなるべく早く出て、広い世界に出て、なんとか一人でやっていけるだけの職業と生活基盤を手に入れた後に……。
己の形を変えようと。
一般的価値観とかいうつまらないものは、僕一人の苦悩では変わりやしないのだ。
どうせ不変の世界、ならば自分を変えるしかないじゃないか。
はっきりとそう告げると、先生は静かに溜息をついた。
「わかりました。でもよく考えてね曽根川さん、まだ時間はあるんだから。進学はするのね?」
「はい、そのつもりです。いずれは普通に恋もして結婚もしたいんですけど……できれば、なんですけどね」
「そう簡単に結婚できるとは思うなよぉ?先生だって三十路までは片付くつもりだったのにぃ」
やってらんないわぁ、と先生はケタケタ笑った。
谷崎先生はONとOFFの切り替えが上手い人で、ちょっとでも僕が『話し辛い』というような素振りをみせるとこうやって冗談を言って自分を茶化す。
下らない話に転じれば、それが今日の話し合いは終了、という合図なので僕も肩の力を抜いて笑った。
その時小さなノックの音がした。
「失礼します、先生ちょっと良いですか?」
保健室の扉を少しだけ開き、ちょこんと顔を覗かせたのが有賀先輩だった。
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