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経世の志
陳登は、字を元龍という。
その出自は明らかではないが、広陵郡辺りのようである。
広陵郡は、徐州の南、長江北岸の都市で、古くから水運の盛んな街だったそうである。
当時の制度では、県より郡の方が規模の大きな都市なので、広陵周辺の都市がほとんど県であったことは、広陵郡がこの辺りの中心都市であったことを物語る。
陳登が少年時代を過ごしたのは、後漢末期、霊帝の治世の頃であった。
その頃の時代背景を少し説明すると、政治の実権は外戚と呼ばれる后妃の一門と、皇帝の側近である宦官とに握られており、しかもその二者が互いに角逐しあって既に収拾がつかない状態になっていた。
民政は蔑ろにされ、堂々たる国家の大臣から、各級官吏に至るまで、私腹を肥やすのをこととするようになる。
当然、国家の財政は窮乏の一途をたどるが、有効な対策があるわけでなし、果ては官職を売りに出してまでその場を凌ぐような情けない有様であった。
霊帝自身はなかなかの教養人だったらしく、文化振興に力を注ぎ、当時の最高学府だった都の太学は盛んであったが、そこで行われる学問は、書物の内容を深く会得するのではなく、字句の解釈などが中心だったので、そこから、疲弊した社会を救う手だては遂に生まれなかった。
志有る者は太学に籍を置くことを恥じたという。
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