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徐州へ
官途に就いた陳登は、東陽県の長に任ぜられた。
任地に赴いた陳登は、その地で、老人や孤児などの弱者救済政策を重点的に行っている。
少年時代に見た、焼かれた村の悲しい母子の姿が、片時も脳裏を去らなかったのだ。
「あの時とは違う。今の私には、僅かでも出来る事があるのだから。」
陳登が領民に接する様子は、自分の家族の面倒を見るように親身だったという。
陳登の施策は真心から出たものであって、別に領民の歓心を買おうとしたものではなかったが、当時、本気で民政に取り組もうとする者があまりにも少なかったことから、ごく短期間に非常な評判を呼んだ。
この評判が徐州刺史陶謙の耳に入り、陶謙は陳登を典農校尉に取り立てて、徐州の農政を託した。
陶謙は言う、
「君の手腕は私の耳にも届いているよ。徐州は元々肥沃な地だったが、打ち続く戦乱で農地は荒れ果て領民は離散している。君の手でかつてのように豊かな大地を取り戻して欲しいのだ。」
「非才の身といえども、必ず微力を尽くします。」
陳登は、任務の重さに身の引き締まる思いであった。
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