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『例えばだよ』
あれは、遠い昔の話だ。
老人は、ひしゃ枯れた声で子供達へと語りかける。御歳六〇──確か退職する直前。園長先生最後のお話だったか。
『もしも君たちが、とってもお腹を空かしながら歩いていたとするね?』
ただ、その掠れた声を真面目に聞いている人なんて、果たしてどれほどいたんだろうか。
ヒゲを顎にたっぷりこさえた園長にバレない程度に、オレの周りの園児達は、小突きあっていた。
『ふと上を見上げると君たちは、そこにとっても美味しそうなリンゴの実を一つだけつけている、大きな木を見つけた』
しっかりピッチリと遊戯室(学校で言う体育館のような部屋)に並ばされた七七人の幼児。それの周りに佇立する、八人の保育士。
『けれどだ。よーく見てみればその木の葉っぱは、みんな茶色になってしまっているんだ──今にも枯れてしまいそうなほどにだよ』
その時のオレには、ぴっちりと背広を着込んだ園長の話は、やけに長ったらしいだけじゃなくて。ただ、不快に感じる以外の何物でもなかった。
例え様のない、深いもどかしさと悲しみとを、その胸に抱えていたから……かもしれない。
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