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暗い、暗い場所。暑くも寒くもない、ぬるま湯に浸かっているような中に、咲はいた。
手を動かす度に肌にまとわりつくような中、彼女は叫び声を放つ。しかしその声はかき消され、咲は心の臓が冷えていくような錯覚に陥った。
――ぬるり。
何かが咲の肩に触れる。それは着物越しにもわかる程に冷たく、しかし焼けるように熱い。
それは首筋を撫で、顔へと触れてくる。
恐怖の声も上げることができぬまま、それに包まれていった。
「――き、咲!」
「っ……あ……」
黒い沼の淵から引き上げられたような感覚の中、咲はゆったりと目を開けた。
「咲、あぁ、良かった、一体何があったんだ」
柔らかい布団の重さに光朗の重みが加わり、ふわりと抱きしめられる。
しかし咲は空を見つめ、ただぼんやりと息だけをしていた。
本来ならば、味わったことのなかった不安や恐怖を叫び光朗に救いを求めたい。
だが、咲は目の前にいる男が誰なのか、理解ができなかった。
「誰……」
咲の喉から出たのは、掠れた小さな声だった。
光朗は咲の言葉に、頭から冷水をかけられたように体を強ばらせる。
咲が家に帰ってこないのを心配して、橋の方へと向かう途中、道にうつ伏せで倒れている愛しい者を見たのだ。
指先が痛みと痺れを訴え、背なに冷たさと強烈な熱が襲いかかった。
震える足で咲の傍に駆け寄り、ただ助けなければという思いで家まで背負ってきたのだ。
なのに――その愛しい者は、光朗を忘れてしまった。これほどの痛みがあるのだろうか。
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