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恩(メグム)は白壁に蔦の絡んだ、かつての我が家を見上げていた。
父が病死し、生活のあてもなかった母は、自分を連れて実家へ帰った。
しかしそこに恩の居場所はなく、老衰しきった祖父を介護する厳格な祖母にとって、母と恩は単なる労働力に過ぎなかった。
慣れない田舎暮らし。
慣れない方言。
慣れない家族という名の、他人。
都会で生まれ育った恩にとって、母の故郷での全てが、苦痛でしかなかった。
その母まで、伯母の薦める村の男との再婚を決めた。
何がしたかったのか、恩本人にも良くわからない。
ただ気が付けば、無人の駅から列車に飛び乗り、此処に辿り着いていた。
立て付けの悪くなった扉に手を掛けると、ギシ、と軋みながらも、それは恩を受け入れた。
幼い頃遊んだ小さな庭は夏草が生い茂り、雄株の銀杏は、碧い扇を所構わず広げている。
灯りの切れた玄関から中を伺うと、そこに人の気配はなく、廊下に月明かりが射し込むだけだった。
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