序曲:石畳の行進曲

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 いつ雨が降ってもいいように、鞄に折りたたみの傘を入れている。それがある日、うっかりその傘を鞄から出して出かけてしまい、そういう時に限って雨に降られる。そんな肝心な時に限って忘れてしまった、という事がないだろうか……。  私はある。例えば、あの時がそうだった。 「……あ、れれ?」  私、トラム・ウェットは歩道で立ち止まり、鞄の中をガサゴソとかき回していた。  うーん、細かな状況を話す前に、いくらか私の事を紹介しておく必要があるわね。  名前はトラム・ウェット……というのはすでに言ったか。  この港町カオブリッツにある聖フォンヌ音楽院の二階生の女の子。いや、子は付けてもらえなくなって久しい。  体格はスレンダーといえば聞こえはいいけど、出ているところが無いのもいささか考えもの。あのグラマーな母親から自分が生まれたと思うと、もう少し栄養を分けてくれても良かったんじゃないかしらと思う事もしばしば。セルフレームの眼鏡をかけている顔も、体型に似て細身。顔立ちの良し悪しに関しては、悪くは無いと思うのだけど褒められた事も無い。ポニーテールにしているイチゴブロンドの髪は、毎日しっかり手入れしているのでちょっと自慢したいかな。  さて、音楽院に行っているわけだから楽器の演奏もできる。母親の趣味で始めたヴァイオリン。父親の趣味で始めたピアノ。きっかけは他人任せだが、今は好きでやっているのだから主体性が無いとか親の言いなりだとか言わないで欲しい。  小さい時からいろいろと曲を聴いて育ったわけだが、何も音楽は外から入ってくるばかりじゃない。自分の内面から奏でられることだってある。突然頭に浮かんでくる曲を五線紙に書き起こすのが私の趣味。だから、出かける時はまっさらの五線紙を鞄に入れておくようにしている。そう、普段は……なんだけど。  でも、今日に限って頭に浮かんだ音色を書き記す五線紙が鞄の中に無かった。 「あ、そうか。昨日無くなったんだ」  昨日のことを思い出して、私は鞄を漁る手を止める。
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