序曲:石畳の行進曲

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 うっかり忘れていた。昨日アパートに迷い込んだ大家の猫が、私の部屋で大暴れして買い置きの五線紙を全部破ってしまったんだ。その後、猫の喧騒をイメージさせるかのような曲を思いついて、鞄の中の五線紙を引っ張り出して使っちゃったんだわ。明日の朝にでも新たに買ってこなきゃいけないと思いながら眠りについて、今朝になったら何事もなかったようにいつもどおりの調子で出かけて……。ああ、そうだった、そうだった。 「あーもう、シンバルめ……」  シンバルというのが大家の猫の名前。ポテッと太った無愛想な顔の雌猫。飼い主に似るとは良く言ったものね。  大家の猫シンバルのおかげで、せっかく浮かんだ曲も頭の中で演奏を終えたら、日常の記憶の中に埋もれて消えていくのだろうな。そう思うと、とても勿体無い気がした。  いや、諦めるのはまだ早い。曲の演奏が終わる前に。日常の記憶に埋もれて消える前に五線紙を手に入れてしまえば……。そうよ、まだ間に合うわ。 「パウロ文具店」  目指すべき地を口にすると、私は足早に通りを歩き出した。  我が町、港町カオブリッツは音楽学校があることもあってか音楽に関わる店も多い。私の向かう店も類に漏れず、五線紙なんかも扱っている。  あそこに行けば問題無い。頭の中の曲もまだ続きそうな勢いだし、大丈夫。  そう言い聞かせながら向かったパウロ文具店は……。 「本日休業?」  下ろされたシャッターに貼り付けられた張り紙。思わずその文字を声に出して読み返していた。  そうだ。店長のジェーンお婆さんが商店街のクジで一等海外旅行引き当てたって噂で聞いたわね。 「何も今日行かなくたっていいじゃないのよぉ」  ジェーンさんの都合を無視した文句をこぼしつつ、次の店を当たる。
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