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「どうしてそれが傲慢なの? 自己愛の塊なの? 罪悪なの?」
「そうだろ? 真実を語るわけでもないのに、自分の主張と言うものを貫き通すためだけに人は相手を説得していく。それのどこが自己愛じゃない。傲慢じゃない。真実と言うものを分かっていないのに、自分の意見がさも真実であるかのように振舞っている。それは自分の意見を受け入れて欲しい、自分の意見こそが大切なのだから他の多くの人に知って欲しいと言う傲慢であり、自己愛の塊でしかないだろ? そして、多くの人々の認識は、そんな一部の人々の傲慢と自己愛によって作り出された意見こそが真実であり、常識であると疑ってやまない。それはつまり、自らの意見という自己愛によって生み出された、常識と言う多大な罪悪を生み出していると思わないか」
彼の事を、相当なひねくれものだと、世間では言うのだろう。東大法学部を主席合格し、何の弊害も無く霞ヶ関の中央省庁へと入省した彼は、秀才を超えて天才だった。だが同時に、彼は私には到底理解の及ばないような見解や思考をしているのか、常にその瞳は私のような凡人には理解の及ばない所を見据えている。きっと彼の瞳には、今私が見ているヒドロキシ基と炭化水素が結合した何百種類もの味が違うアルコールと言うものではなく、もっと別のものが映っているに違いない。彼は手で弄んでいたグラスをテーブルの上に置き、代わりにやってきた淡い琥珀色の液体を口へと含む。
「ねぇ一樹(かずき)。そうだったとしても。けれどたった一人の意見で常識は形成されないじゃない。何十、何百と言う人々が同じ方向性、同じ意見を貫くことで、その上で始めて常識と言う世界に普遍のプロセスとして受け入れられていくんじゃないの」
彼はグラスを置き振り向く。首筋を覆い隠す程度の黒髪は、ジャズコーラスのダンサーのよう。彼の口から飛び出す言葉は、詩と言うものを持たない曲に、言葉と言うもう一つのメインディッシュの香りを添えた。
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