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「なら、国の文化の違いとは一体どういう風に説明が出来るのだろうか。中国では犬を食べることも容易に行う。タンパク源として。そのためにも様々な調理方法が施され、少しでも美味なものを提供できるよう、料理人は四苦八苦しているだろう。だが、日本では逆に犬を食べたといえば動物愛護団体が猛烈な抗議の声を上げる。犬を食べるなど正気か、常識が欠落しているなど、一部の人々が作り出した自らの思想を常識として携えて人格の否定に奔走する。中国では犬はタンパク源。日本では犬は動物であり食べてはならないもの。ならばその常識の差異はどこから生み出されたのか。 あくまで人一人、数名が生み出した思想、いやこの場合は理想と言った方が正しいかもしれない。それが常識として蔓延した上での追求、言及だ。それは一人の人物が保有していた思想、意見というものによって形成された常識によって起こる弊害であり罪悪だろ」
こういう時ばかり、彼は饒舌になる。いつもは光を深遠に留め、人の輪に進んで加わることも無く、会話も少ない彼だが、どういうわけか、こういう話においてのみ彼は普段と人格が入れ替わっているのではないかと言うほど、饒舌に話す。また、この時だけは、漆黒に彩られ何を見ているのか分からない彼の瞳にも光が差し込み、何時も以上に生きていると言う実感を私も見て取れるのだから、本当に救いようが無い。彼も私も。
「確かに、それを聞いていると罪悪かもしれない。でも、人は受け入れられないものを常識として受け入れられるほど大きな器を保有してないと思う。それに私はどっちでも構わないと思う。犬を食べようと食べなかろうと、それはその人の自由だし、私たちがとやかく口を出す権利が無いと思ってる」
「確かにお前はそうだ。基本的にそう言う倫理観的なことに口を出さない。だから俺はお前のことが気に入ってるんだけどな。ただ、団体と言うのは回りに同じ思想の人物が集まるからなおさら厄介だ。なまじ回りに同じ思想の人々が集まるから、それを常識だと思い込んで疑わない。それこそが常識と言う真実であり、あるべき姿であると錯覚する。団体では一部の人が決めた理想と言うものを自らの常識と携え、あまつさえそれこそが世界の求める真理であると捉えるんだ。それは罪悪以外の何者でもないと俺は思うんだがな」
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