第零章 絶望と悲壮の常闇

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   時は満ち、準備は整った。  落ちていた木材やらゴミやらを重ねて作った踏み台。いつ崩れてもおかしくないその上に乗り、目の前で揺れる黄褐色の輪を見つめる。  大丈夫。苦しいのはたったの7秒。この苦痛から解き放たれることを考えれば7秒なんてめちゃくちゃ短いじゃないか。そう、自分に言い聞かせた。  でも、現実ってのはそんなに甘いもんじゃなくて、死への恐怖ってのはそんなに生温いもんじゃなくて……漂う輪に掛けた手はガタガタと震えて力なんて一切入らず、臆病な心は実行をためらわせる。  暑いワケではない。けれど何故か汗が一滴、頬を伝い落ちた。 「ふー……」  呼吸が浅く、速くなる。もう何も見えない聴こえない。  代わりに働く触覚。指先が細い繊維の一本一本をも鋭敏に感じ取り、目の前にある死に濃密に触れて──  ……一度、台から降りた。  大地に足が着いたとたん、膝から力が抜け、倒れ込むようにその場へ腰を下ろす。  足が、手が、体が、心臓が、大きく激しく震えていた。ガチガチとぶつかり合う奥歯の音が頭の奥深くにまで響き、ノイズのようにその他一切の情報を塗り潰す。  自殺なんてやろうと思えばいつだって出来る。そう思っていた。  けどそれは「そんな機会あるハズがない」と心の奥深くで信じ込んでいたからであって、後戻りの出来ない本当の極限まで追い詰められた自分は、実際、何も出来ずに震えている。 「はは……ダッセェ」  自虐的になったところでどうにもならない。  幹に体を預けて座り、静かに目を閉じた。  四肢に力が入らなくなって数十分。相変わらず、闇は静寂を保っていた。  既に震えは治まり、微かな木々の葉音に耳を傾ける余裕さえ出来た。しかし、いかんせん気力が起きない。立ち上がることすら億劫になり、頭には帰ることばかりが浮かんで来る。  ──帰る? 何処に?  帰る場所など既に──。 「……何処にも無いじゃないか」  家は最近失った。そんな俺を泊めてくれるような友人はいない。否、友達なんて作らないようにしていた。必要なかったから。  俺には家族がいた。帰宅する俺を毎日出迎えてくれる母、身を粉にして生活費を稼ぐ父、ムードメーカーである妹、ちょっと太めの弟。  家族がいれば、友人なんていらなかった。幸せな家庭がもたらす暖かさに、俺は満足していた。
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