24歳の大学生の日常的煩悶②~フラストレーションについて~

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フラストレーションのたがと言うものは、なかなか自分で上手い具合に調節できるものではないし、主に外的要因から端を発して、内的要因に転化していくものらしい。 心理学を勉強した訳で無いから、ごく個人的にだけど、そういう風に感じている。 24歳の大学生は、ひどくフラストレーションな存在なのだ。 一応はバイトをしている。そこそこ稼いだり、消費したりする。 でも、分かっている。 それは自分自身でないし、親の力だと分かっている。それも痛いくらいに分かっている。 そういう実感は痛みを伴うものなのだ。 カサブタが生える前くらいのムズムズした鈍痛を四六時中、心に抱えているのだ。 ふさがらないイライラがつのる。 多分、そういう痛みが主なフラストレーションの原因なのだと思う。 何をしても、何をしようとしても半人前の烙印を押されている様な気がしてしまう。 そして、現に半人前だ。それと取っ組み合いをする。 風呂場、授業、バイト、自転車の上、就寝前。 場所は問わない。 そして、ふと生じることが日常的で、心の内側でそういう取っ組み合いが場所や時間を問わずに生じてしまう。 内的葛藤と言うのだろうか? でも、僕には、ひどく上等な言葉にしか聞こえないし、内的葛藤だとか、心の闇だとか、そういうほれ見て的な不幸を表す言葉に飛びつくのは性に合わない。 そして、「僕は弱い人間です。」なんて言いながら、「自分は弱いと言えるぐらい強いんです。」なんて言う何の解決も導かないロジックも使えない。 そして、フラストレーションというのはジワジワと急速に下降を続けるらせん階段の様なものらしい。 出口をある程度の時間で見つけ、トンネルとトンネルの狭間でにわか仕込みの光を楽しめるが、すぐにトンネルが待っている様なものにも思える。 やっぱり、そんなに楽しいものじゃない。 そして、実は解決の方法は決まっていて、簡単なんだけど手が届かないものだから辛くなるのかな? その解決方法は僕の場合、職に就く、あるいは何でも良いから独立の手段を手に入れ、その代替要素を埋めることだろう。 でも、僕は中途半端に夢があるし、夢がない。 そして、中途半端に鈍感で冷めている。 「ちょっと中庸的でしょ?」だなんて言えない。 そして、それらの総体は納得出来ないものに埋没出来ないと言うことだと思う。
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