第一章

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 天狗が拳を振りかざした時、雪は目をつぶりもしなかった。悲鳴のひとつも上げなかった。  自身の中を駆け抜けた強い思いに、ただ身が震えた。  そして、天狗の拳がガラスを突き破ろうとした瞬間。  雪の瞳が、銀に光った。  音の洪水だ。と雪は思った。音が渦巻いて、脳裏に形を描く。  ―何か、熱い物が手のひらから溢れ出す。その意味を悟って、雪は手のひらを獣に向けた。意志の抵抗を失って、何かがまっすぐ駆けていく。さながらそれは、津波のようだと思った。  獣の拳にぶつかったガラスに、白い、幾千もの線が入る。それは、まるで重力に逆らうようにカタカタと震え、はじけた。  獣の勝利の微笑みが、引きつって行く様が、こま送りのように見える。  恐怖に歪んだその口が、馬鹿な。と動いたことも、水を飲むより簡単に理解した。  ガラスの刃をその身に受けたるは、翼を持った獣であった。  津波が、すべてを押し返したのだ。これが、雪の持つ牙。すべてを飲み込む、食い尽くす、牙。  それでいい。と声がした。あの、夢に見た海の向こうから。  ドンッ―…と地響きがして、何が上だか下だか分からなくなっていく。  獣の悲鳴に誘われるように、雪は意識を手放した。
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