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轟動扇。
轟動流拳法の開祖。
轟動流拳法とは轟動扇が編み出した右腕と両足を使う拳法であり、轟動流拳法と名乗っているが“この拳法は轟動扇にしか使えない。”
そもそも轟動流拳法とは幾多の戦場の中で左腕を切断せざるおえなかった轟動扇が、心血を注いで編み出した拳法であり、轟動扇専用の拳法なのである。
一代限りの拳法で彼は刀を振るっていた時よりも功績を上げた。
むしろ剣法よりも拳法に切り替えた方が、彼の働きをさらに際立たせていた。
もともとその才能があったのか、彼は剣士から拳士へ、さらに武将から戦国の最強武将、ついには伝説の最強拳士へと上り詰め、最後の花道、東西戦争でその最後の伝説を打ち立てて彼の拳法を使うことはなくなった。
大和政府の中で軍事の最高機関である戦監督に就任し、未来の剣豪の教育に充実した……が、政府が求めたの拳士ではなく剣士だった。
政府の方向性と轟動の方向性の違いが、彼の立場を窮屈なものにしていった。
轟動は六年前に大和政府戦監督を退職して、故郷の長門に隠居を決めた。
轟動いわく「某(それがし)の時代は終わった。これからは政(まつりごと)の時代である」と語る。
彼の伝説は書記に埋もれていった。
……しかし、彼の轟動流拳法はある場所で再び開花した。
関門海峡に出現した海賊。
それを壊滅させたのは彼、轟動扇であった。
彼は沿岸の生まれで屋敷も潮風の香る港近くにあった。
そんな彼が海賊の話を聞き及ぶのにそう時間は掛からなかった。
轟動は地元の、それも政府の建造物、それもこの国の発展に繋がった海外貿易の妨げになる海賊たちの成敗に名乗りを上げた。
元大和政府戦監督の名を使い、橋船「国繋号」の船長兼税関管理長になった彼の初仕事が海賊の壊滅だった。
海賊は瀬戸内海、九州の二つの組みに別れていて、その全てが国繋号を潜る(くぐる)貿易船に対して海賊行為をしていた。
轟動はこの海賊団の壊滅を宣言し、両海賊団団長に果たし状を渡し瀬戸内海海上に両海賊団の船団数十隻が押し寄せた。
海賊団員五百人対轟動扇による海上戦が行われた。
海戦は五時間に及び幾多の船が沈没していった。
そして最後に立っていたのは轟動扇だった。
轟動扇は一人で五百の軍勢を壊滅してみせた。
彼の名に新たな伝説が付け加えられた瞬間であり、以来彼は国繋号の船長にして税関管理長になった瞬間でもあった。
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