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「『じゃあ、今の仕事は止めて、一緒にパン屋でもやろうか』とか?」
「…いや、私の事を思ってくれるのは素直に嬉しいのだけれど、流石に仕事を辞めたら駄目でしょう?」
「そうか?」
「そうよ」
「…何で?」
「何でって、お金がないと生活できないし、やっぱり先立つものは必要でしょう?」
「だから、パン屋を始めるんだろ?…まあパン屋っていうのは一例で、詩織と一緒にいられる仕事なら何でも良いんだけどさ」
「いや、でも、そんな急に慣れない仕事を始めたからって儲からない……」
「確かに儲からないかも知れないし、金銭的にキツいかも知れないけどさ、お前が毎日寂しい想いをしちゃうのよりは、ずっと良いと思うんだよな」
「…え?」
「ていうかそもそもさ、仕事なんていうものは、幸せな生活を営む為の手段であって目的じゃないんだよ。少なくとも、俺の中では」
「…うん」
「だから仕事のために生活をないがしろにするのはやだし、ましてや詩織にそんな想いをさせたくない。だったら俺は安い賃金をやりくりしなきゃならなくなったとしても、詩織と笑って暮らせる人生の方が良い」
「………」
「いや、まあ、そんな事言ったってやっぱりある程度の金は必要だし、詩織がそんな生活は嫌だっていうならあれだけど……」
「…嫌じゃない」
「…え?」
「嫌じゃない。私も、あなたと笑って暮らせる方が良い」
「…そっか」
詩織は優しく微笑むと、俺の肩にその頭をゆっくりと乗せた。
触れた彼女の肌から感じる体温や、耳元で微かに聞こえる吐息や、彼女の何もかもが、全て愛しくて、
ああ、この子の為だったらいくらだって頑張れるんだろうな、なんて思った。
そんな昼下がりの出来事だった。
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