出生の話

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1979.1.2 予定日より5日早く一人の赤子が誕生した、第二子…次男として生を受けた子供は医者からある宣告を受けた。 『保って3歳まで生きる事ができない』 と…後に母体からの薬害が判明する子供を親は懸命に育てる為に命を賭けてゆく、これが俺の出生の瞬間だ。 内臓が弱くミルクを吐きいつ死んでもおかしくなかった…親は毎日眠れなかったらしい、体重は普通と同じでただ薬害で内臓と右足が悪い…それは今も消化器系はあまり強くないし足は普通より指が少なく短く細い。 しかし中身は普通の子供だ、よく走っていたし転けたりはしゃいだり…だから両親は俺を普通の子供と同じように…まあサプリや健康食品を与えてたりした。 経過は語らずもがな…現在こうして生きているし…
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