落ちていくモノ

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僕は、彼女と目が合ったんだ。 それは確かだ。あの表情は、夢じゃない。 蛙のような、這うような姿勢で彼女は落ちて来た。そして、僕を見ていた。 …なら、何故、彼女は「こちらを向いて」死んでいるのか。 俯せに落ちたはずの人間が、何故仰向けに死んでいるのか。 空からたたき付けられた人間が、まさか寝返りなどできるはずもない。 まして、あの数秒間で、誰かが動かしたはずもない。 否、それよりも。 どんな飛び降り方をすれば、蛙のような体制」に、落下することができるのか。 否、どんな飛び降り方をすれば、「蛙のような体制で、こちらを向いて落下できる」のか。 その疑問が浮かんだとき、震えは一層強まり、首筋に冷たい何かを感じた。 不意に、ナナシが口を開く。 「死んだ先に何がある。救いなんて、あるはずないのに。闇から逃れても、闇しかないんだ」 その言葉には恐ろしいくらい感情が篭っていなかった。 アパートのときよりも、数倍、僕は、ナナシを怖いと感じた。 赤い海に浮かびながら、僕らを見上げる曲体の死人より、ナナシの言葉が怖かった。 その後、席替えがあり、僕が窓際になることは二度となかった。
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