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集団が会話に夢中になってる今なら、逃げられる。僕は走り出す姿勢をとった。
だが。
「お兄ちゃん、何してるの?」
ひどくノイズのかかったような声。見上げれば、幼い女の子の顔が隠れていた墓石の上から覗いていた。そこでもう、あの集団はこの世のものではないと確信した。
だって、この女の子は顔形から見てせいぜい3、4歳。そんな女の子が、どうして大人の僕が隠れていられるほど大きな墓石の上から顔を出せるのか。しかも、顔だけ。
数年ぶりに感じた恐怖に、僕は一目散に走って逃げた。集団が追いかけて来るのがわかる。ノイズがかった声も聞こえる。
ただひたすら怖かった。あの頃は、危ないときはとなりに「あいつ」がいた。でも今はいない。そんな今あの集団に捕まったあとのことを考えると、洒落にならない恐怖だった。
霊園が、道が長い。逃げても逃げても道がある。それでも泣きわめきながら逃げた。だが
「あっ」
何かに躓いた。転んで、座り込んだ。ああもうだめだと思った。躓いたのは墓石。後ろから追いかけてくる提灯の光。
「くそっ」
躓いた墓石を座り込んだまま蹴飛ばした。そのとき。
「罰当たりな奴だな。」
聞き覚えのある声がした。視線を上げると、嘘だろう?「あいつ」がいた。
「ナナ…シ…?」
あの頃より少し大人びたナナシがいた。苦笑して、僕に手を差し出す。
「惚けてる場合か。走れ。」
追いかけてきたぞ、と呟いて、ナナシは僕の手を引いて走った。ああこの背中だ。いつも厄介なことやらかしては、ヘラヘラ笑いながら僕の手を引いて逃げた背中。どんなに怖くても、この背中を追いかけてれば安心だった。
現に、ひとりで走った絶えがたい恐怖は、安心に変わっていた。
走って走って、霊園を抜けた。
霊園を抜けるともう提灯は追いかけて来なかった。僕ひとりだったなら確実に捕まっていただろう。ナナシにものすごく感謝した。ありがとうと何度も呟いて、泣いた。
「もう怖くないよ。怖いものは、もういない。怯えなくていい。」
ナナシは言った。僕は、余計に泣いた。
僕は知ってる。ほんとにそう言って欲しいのは、否、ほんとにそう言って欲しかったのは、あの頃のナナシだったこと。
ヘラヘラ笑いながら怯えていた、幼かったナナシだったこと。
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