記憶

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 僕が羽川の家庭事情に関して知っていることはそれほど多くない。現在の両親との関係とあの猫が話していた内容だけだ。ただ、一つだけわかっているのは、羽川は人の直接的な温もりをほとんど知らない。 「阿良々木君は温かいね」  羽川は人望もあるし、知人も多い。相談に乗ることも多いだろうから、コミュニケーションに欠けることはない。でも、それは両親に与えられた「翼」という名前により、誰かを庇護しようとする「良い子」で在り続けようとして歪み過ぎて真っすぐになり過ぎた羽川の価値観と行動原則がもたらしたもの。だから、僕のように日々妹と喧嘩という名のスキンシップを取っている僕と比べると、直接人の肌の温もりに触れることは少なかったはずだ。 「羽川の方が温かい」  キスをしてからしばらく抱き合っていた。キスは甘いとかレモンの味がするとよく聞くが実際はただの温かい人肌の感触だった。でも、それはあの地獄の春休みに僕を救ってくれた尊い温もりだから、どんな味よりも美味しく感じられた。 「阿良々木君」 「ん? 」 「なんで、阿良々木君は私の眼に舌を伸ばしているのかな? 」  無意識のうちに羽川の眼球を舐めたくて僕は舌を伸ばしていたらしい、空しく空中をチロチロと舐めている。それを羽川がとても冷めた目で見ている。さっきまでいいムードだったのに。 「べ、弁明をしてもよろしいでしょうか? 」 「許可します」 「好きな女の子に触れたいという男子のどうしようもない生理的欲求であり、何卒ご許しを! 」  数分前に恋人になったばかりの同級生に土下座をする高校生がいた。というか、僕だった。 「阿良々木君」 「はい、なんでありましょうか? グレート委員長様」 「阿良々木君が健全でお年頃の男子高校生だということは理解しています。だけど、きちんと空気は読んでください」 「面目ありません」  親しげな響きが羽川の口調から消えた。怖い。怖すぎる。 「ちゃんとしてくれたら、私も答えるから」  そのとても幸せそうで慈愛に溢れた笑みを見て、僕は羽川翼に会えて本当によかったと心から思えた。  そんな人生最高の次の日、僕は階段から落ちてきた戦場ヶ原ひたぎを受け止めた。
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