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佐介はもう一度やってみようと、油紙を洗う手を休め、骨だけの傘を開いた。
その時だった。
どこか憔悴しきった顔をして、ふらりと一景が帰って来た。
まるで何日も飲まず食わずの浮浪人のようなやつれた顔をしていて、誰にも視線を合わせないまま玄関に座り込んだ。
「お帰りなさい。一景さん……顔色悪いですよ? 大丈夫ですか?」
「……なんだ、お前。傘を直したのか」
佐介の問いには答えず、一景は脱ぎかけた草履を履き直してから傘を見た。
手に取り、ぐるりと回す。
「へぇ……」
「あの、勝手にすいませんでした。俺もやってみたくて、つい……」
「初めてにしちゃあ、上出来だ」
無表情にそう言うと、一景は佐介の頭をぽんぽんと撫でた。その手のひらはひどく冷えていた。
「休む。悪いが粥を炊いてくれ」
座敷に上がるなり横になった一景を横目に、佐介は不審に思いながら粥を炊く支度を始めた。
ふと、一景が傍らに無造作に置いた風呂敷包みに気付き、佐介は固まった。
あれは玉川屋の瑠璃を助けるための金だ。
あの金の山を手にする為に、痛い思いをしてまであの御隠居を始末したというのに。
何故、持って帰って来た?
疑念を抱えながら佐介はかまどの前で身を固くした。何かわけがあるに違いないが、そのわけの答えを導く事ができなかった。
煮えはじめた米がことこと音を立てる。
背中の向こうにいる一景の姿を、振り向いて見ることができない。
今の一景は、声を掛ける事が許されない空気を纏っている。
「なぁ、兄ちゃん。俺の分はあるかい? 俺も腹が減ってんだ」
木根の声に我に返ったと同時に鍋が吹き、蓋を開けると良い感じに粥は炊き上がっていた。
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