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イギリス海軍が誇る『pow』を主軸とするZ部隊が、日本軍の航空攻撃で壊滅した事で、東南亜細亜の海域においてはもはや脅威となる強力な連合軍の海上戦力は存在しなくなった。
制海権も日本側が掌握しており、蘭印の攻略は順調にすすんでいた。
昭和十七年一月二十三日にはボルネオ島東岸バリクパパンへの上陸作戦を予定していた。
スマトラ島パレンバンに次ぐ産油地帯であり、艦艇の機関に最適な上質の石油が産出されるために、海軍側は早期の占領を望んでいたのたのである。
そのため軽巡洋艦『那珂』を旗艦に駆逐艦9隻・掃海艇4隻・哨戒艇3隻からなる小艦隊を派遣さて、陸軍兵や戦略物資を満載した14隻の船団の護衛及び上陸支援の任にあたった。
一月二十二日、日本軍の上陸船団はバリクパパン沖に達した。
ここで兵員を乗せた輸送船2隻を分離、駆逐艦2隻に護衛させ上陸予定地点のバリクパパン付近の泊地へと侵入させた。
あとは翌二十三日の夜間に予定された上陸作戦の決行を待つだけであった。
画像は、軽巡洋艦那珂
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